世界はひろいな 56 キーボードの世界

毎日使っているキーボードですが、あたりまえのように使っていたのになんだかすごい世界だと最近思うようになりました。

ローマ字と数字そして記号、わずかなボタンでほぼ完璧に何かを表現する機能があることが不思議ですね。

 

ブログを書くのとインターネットで何かを検索するぐらいしか使っていないのですが、小さな記号の打ち間違いひとつでもエラーになることがすごい正確性で感心してしまいます。

ブログを書いている時にはあまりエラーになってほしくはないのですけれどね。

 

そして複雑怪奇な日本語が、このわずか26文字のローマ字と10個の数字で転換されていくことにも驚きです。

そして打ち間違いに気づけばすぐに訂正できることも。

 

私が初めてキーボードに触れたのは1980年代初めの頃に英文タイプを独学で学んだ時でした。

打ち間違うといったん紙を機械から引きずりだして修正液で消し、ずれないようにまた紙をはさんで再開するのでけっこう面倒でした。

そして何より、当時のアナログのタイプライターはローマ字で表現できる言語にしか対応できませんでした。

 

日本語の場合、ひらがな・カタカナと濁音などだけでもすごい数ですし、さらに日常使う漢字から旧字体まで一つの機械で対応することなんて無理ですから、これからは英語が主流になってしまうのだろうかと漠然と思っていました。

 

和文タイプライター

 

各国の言語に対応したタイプライターもあったようですが、和文タイプライターでさえ私は見たことがありません。

 

Wikipediaの和文タイプライターの外部リンクの「和文タイプライター(これなあに?)」さまざまな和文ライターの写真や説明があって興味深く読みました。

昭和60年頃にワープロが普及すると、あちこちで不燃ゴミとして捨てられるようになりこの機械に興味があった小生は、これはもったいないと、拾ったり、頂いたりして保管していたのです。

ちょうどワープロが広がって、そしてじきにパソコンが普及していった時代でした。

 

和文タイプライターは事務員さんあこがれの事務機で、社長さんに頼んで買ってもらったのはいいが、いざ、使ってみると、活字を探すのが大変で、しかも、修正がきかないので、最後の一字を間違えたら新しい用紙で最初からやり直し、となり、こんな事なら手書きの方が早い、ということで折角の機械も埃をかぶっている、ということもよくあったようです。

印字レバーの力の入れ加減も大切で、句読点などは、活字が尖っているので、普通に押すと、活字が紙を突き破って、ブラテンのゴムに食い込んでしまう、また、画数の多い漢字は圧力が分散されるので、力を入れて押さないと、鮮明に印字出来ない。、などの注意が必要でした。

 

修正がきかずに間違えたらやり直しなんて、ほんと緊張する機械だったのですね。

 

パソコンは長文を打ち間違えても修正が簡単だし、さまざまな編集機能があるので付け足したり順番を変えたり、本当に楽になりました。

そして「Enter」一つで記事をインターネット上に公開できるし。

まあ、手が滑ってまだ下書きで公開しちゃったりというミスもあるのですけれど。

 

ただ、散歩で見つけた石碑や御由緒をブログに記録するときに、漢字ひとつを確認するのに小一時間かかってしまうこともあります。

日本語の数の多さは、中国と並んで世界では珍しいのではないかと思いますね。

 

 

*発想にどんな違いがあるのだろう*

 

英文タイプを使い始めた頃からずっと気になっていることがあります。

 

わずかのローマ字と数字だけで表現ができてしまう言語というのは、とても合理的な何か発想とか生まれやすいかったのだろうか。

それがきっとデジタル化を先んでた理由かもしれないですね。

 

では日本語は非合理なのかというと、そうとも言い切れないような。

英語圏の人の世界や政治を見ても、やはり人間そのものはあまり変わらなそうですしね。

 

今日もカチャカチャと打ち込んだり、ポチッと押したりしただけで言語になる不思議なキーボードを前に20代からの疑問をもやもやと考えています。

 

 

 

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