水のあれこれ 326 鶴ヶ岡城と青龍寺川

地図で鶴ヶ岡城を眺めていた時には、東側に流れる内川からお堀に取水しているのだろうかと想像していました。

 

実際に訪ねてみようと計画する段階で、西側を流れる青龍寺川にところどころ分水堰のように見える場所が描かれていることに気づきました。

たとえば青柳町公園とか東新斎町のあたりで、堰から両岸に分水路が描かれています。

現代ではその分水路をたどってもお堀にはたどり着かないのですが、おそらく玉川上水と同じくお城のための川だったのではないかと思いました。

 

 

*「青龍寺川と鶴ケ岡城 水を辿る歴史探訪400年(山形県)」*

 

青龍寺川」で検索すると、農林水産省の「水土里の路(みち)ウォーキング」に「青龍寺川と鶴ケ岡城 水を辿る歴史探訪400年(山形県)」というウォーキングコースがありました。

 

概要

鶴岡市は庄内米の里ー庄内平野南側の城下町。街の中心部にある鶴岡公園は鶴ケ岡城跡地で藤沢周平ゆかりの地。桜の季節にはお堀の水と桜並木のコントラストが圧巻。お堀の水は「青龍寺川(しょうりゅうじがわ)」から引かれており、堰の水を辿れば400年前の歴史が蘇ってくる

(強調は引用者による)

 

地図から見つけた水色の場所が、「鶴ヶ岡城のお堀の水はどこから引かれていたか」の正解だったようです。

少し高台を通る青龍寺川から何本も水路が出て、それが外堀や生活用水となって内川へと流れていたようです。

 

鶴ヶ岡城址公園の入り口にあった「鶴ヶ岡城復元図」によると、現在のお城の西側にある慶應義塾大学先端生命科学研究所のあたりが百間堀だったことが書かれています。

研究所の敷地内にある池のような場所がその名残でしょうか。

 

そこに水を分水する堰について、農林水産省のそのサイトではこう説明されています。

(カ)澤田堰取水口が見えてくる。澤田堰は鶴ケ岡城の百間堀に流れ込む要害として、青龍寺川、内川と並ぶ歴史的存在。

(キ)澤田堰を下流に辿る。澤田堰は馬の洗い場として使われたため馬場堰(ばんばせき)とも呼ばれる。

(ク)途中、料亭の庭園内を流れるなど、昔の生活用水としての使われ方を現在に見ることができる。国道345号線方向に向かい、変則5差路を左折すると、

(ケ)新百間堀に出る。ここから羽黒街道を横断し、

(コ)鶴ケ岡城二の丸にでる。

 

地図と付き合わせてもなかなかどの場所なのかよくわからなかったのですが、おそらく青柳町公園があるあたりで、その分水堰から百間堀へと水を得ていたのでしょうか。

なかなか簡単には答えに辿り着けませんね。

 

このウォーキングコースは「初級者向き」「約7.7km」ですが、猛暑日ですからちょっとこの日は無理そうです。

 

でも直前に赤川頭首工の説明板に書かれていた、「青龍寺川は、慶長年間(1610年頃)に京田郷本郷町(現在の鶴岡市本田)の土豪、工藤掃部(かもん)によって開削された我が国でも稀にみる優れた人工河川です」に背中を押されました。

 

玉川上水よりも30年ほど前に開削された「我が国でも稀に見る優れた人工河川」。

これを見ないで帰るわけにはいきません。

 

とりあえず青龍寺川は玉川上水のように少し高い場所を通っていることを確認し、分水路らしき水色をたどって鶴岡駅まで歩くことにしました。

 

 

*おまけ*

 

鶴ヶ岡城は「鶴岡城」「鶴ヶ岡城」のどちらの呼び名もあるようです。

 

そして農林水産省では「鶴ケ岡」と大きい「ケ」が使われていますが、現地の地図などでは「ヶ」のようです。

日本語は難しいですね。

どちらも間違いではないけれど、入力してもデジタル社会でははねられる可能性がありそうです。

 

 

 

 

「水のあれこれ」まとめはこちら

「城と水」のまとめはこちら

マイナンバーとマイナンバーカードについての記事のまとめはこちら