散歩をする 465 鶴岡の青龍寺川に沿って歩く

赤川頭首工を訪ねることができて、今回の散歩も終わりが近づいてきました。予定では12時31分の特急いなほに乗って新潟へ出て、上越新幹線で帰る予定です。

 

庄内平野の水田地帯や水路の歴史をもっと歩きたいという名残惜しさと、連日35度越えの暑さの中でやっぱりもう歩くのは無理という葛藤の散歩です。

美しい鶴ヶ岡城址公園でひと休みしたら、城址公園の西側数百メートルほどのところを流れている青龍寺川を見てみたくなりました。

お城への上水を兼ねた人工河川であれば、少し小高い場所を流れているに違いない。

それを確認したくなったのでした。

 

お堀の西側から県立鶴岡工業高校の敷地沿いの道を歩き始めると、突然道がカクカクと曲がっている場所があります。もしかするとブラタモリでよく見るクランクかもしれませんね。

道なりに歩き、また西へ向かうと、その先が緩やかな上り坂であることがわかりました。

やはり青龍寺川はお城の西側の少し高い場所を通しているようです。

 

そして地図にはない小さな水路が、青龍寺川に並行して流れていました。なんの変哲もない側溝ですが、中に流れているのはきれいな水でした。

 

*東新斎町の分水堰*

 

緩やかにまた西へと上ると地図に載っている分水路があり、その先の道はまた少し高いようです。約1.5kmほど上流の青柳町公園のあたりから分水された水路でしばらく青龍寺川と並行して流れたあと、このあたりから北西へと流れを変えて現在の鶴岡駅の方向へと流れています。

水路のそばに「鶴ヶ岡城万年橋口木戸跡」という案内棒があり、このあたりからお城へと水を得ていたようです。

こういう記録が道端にあるだけで、風景が全く変わって見えますね。

 

道の反対側は青龍寺川にはさまれた窪地のようで今も立派な屋敷と畑そして水田があり、さらに100メートルほど北西へ歩くと青龍寺川が見えてきました。

背の高い夏草で両岸をおおわているので水面は見えず、近づくのもはばかられましたが、やはり少し高い場所を流れているように見えました。近くに東新斎町の分水堰の大きな水門がありました。

ここからの分水は、現在も青龍寺川の少し東側を流れながらJR線の北側の茅原のあたりまで潤しているようです。

 

*大道堰のそばを歩いて鶴岡駅へ*

 

ここからは、あの農林水産省の「青龍寺川と鶴ケ岡城 水を辿る歴史探訪400年」の散歩コースとは逆方向に歩いて駅へと戻ります。

(ア)JR鶴岡駅から国道345線方向へ約500mほど進むと大道堰が見えてくる。

(イ)大道堰は約340年前に造られた農業用水路。青龍寺川の稲生分水口(いなおぶんすいこう)から鶴岡市内を北東に伸びる水路で延長は約4.5km、大道堰沿いを上流に遡り、山形大学農学部キャンパスを右手に進むと鶴岡北高等学校の北側に出る。校舎北側を流れているのが外堀堰。

 

この外堀堰を見ようと計画していましたが、やはり暑さと疲労感で挫折し、最短で駅に向かう道を歩くことにしました。

赤川頭首工の川風の強さが幻だったかのようにこのあたりでは無風です。

 

途中で水路に沿った道がなくなるようなので一旦県道322号線に出て、しばらく歩くと山形大学農学部のキャンパスになり県道349号線との交差点の手前に木々に囲まれた水路が見えました。交差点の下を斜めに暗渠になって流れて、反対側からまたその流れが続いています。

このあたりが大道堰でしょうか。

 

マンションと住宅の間でまたそばを歩けなくなりましたが、その先の錦町公園と長泉寺の前に水路が現れました。

コンクリート三面張りですが、中を覗くときれいな水で小さな魚がたくさん泳いでいます。

 

現在もまだ現役の水路として、あの赤川頭首工からの水が青龍寺川としてこの地域を潤していることを見ることができて満足しました。

 

 

いなほ8号に乗り、羽前大山羽前水沢庄内平野が終わるまで車窓の水田地帯を眺めて今回の散歩が終わりました。

と、地図で確認しながら記録を書いていると、羽前大山羽前水沢のあたりはどこから水を得ているのだろうどんな歴史があるのだろうと気になってきました。困りましたね。

庄内平野」は広いですね。

 

 

 

 

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