いよいよ香川用水の水の資料館に入りました。
「高知・徳島両県の友情の水」とあったように、最初に高知県や徳島県のパネルがありました。
圧巻だったのは「吉野川流域の洪水遺産マップ」で、徳島県池田町のあたりから河口までの長大な吉野川の地図に水防竹林や堤防、堰、寺社や碑などが書き込まれていました。
下流の徳島が晴れていても、他国に降った大雨が突然怒涛のように襲ってくる、「四国三郎」「阿呆水」と呼ばれる吉野川についての説明でした。
今年の4月初旬に洪水の自由蛇行によってつくられた吉野川の河口付近を歩き、吉野川を眺めながら香川県を訪ねたのですが、山を越えると一転して溜池の風景になったことを思い出しました。
次の展示は吉野川の支流の祖谷川(いやがわ)の奥祖谷の写真と「水に活きる」というタイトルで土佐町の棚田などが紹介されていました。
「四国の水がめ」の早明浦ダムがある町ですね。
*吉野川総合開発事業と香川用水*
讃岐山脈を超えてきた吉野川の水は、この東西分水工からしばらく一つの水路で流れたあと、観音寺方面への西部幹線水路と東かがわ市までの東部幹線水路に分かれてほぼ香川の平野部全域を潤すような大規模なもののようです。
香川県は季節風によって運ばれる海からの水蒸気が、南北の山地(中国山地、四国山地)により遮られ、乾いた空気が流れ込む。そのため多くのため池を築いてきたが十分な用水の確保は出来なかった。またその一方、讃岐山脈をはさんで徳島県の吉野川周辺では大きな洪水による被害が度重なった。そのため吉野川流域の安全と水の安定供給を目的とした吉野川総合開発事業が計画され、早明浦ダム、池田ダム(徳島県三好市)とともに、計画の一環として香川用水は建設されることとなる。吉野川総合開発事業の発表から24年後の1974年に総工費3200億円(うち香川県負担分1154億)をかけて完成した。
(Wikipedia、「香川用水」)
香川用水というのは、まさに四国の真ん中に降る大雨を分け合うための壮大な計画だったようです。
1950年(昭和25)には計画ができていたというのですから、1940年代の弾丸列車計画といい、丹那トンネル工事といい、1960年代生まれの私にとっては古い時代と思っていた当時の発想や技術の凄さを感じることが増えました。
香川用水の水源は吉野川にある早明浦ダムで、蓄えられた水は池田ダムから讃岐山脈を貫通しているトンネルを経て香川県に導かれ県内一円に農業用水、水道用水、工業用水を供給している。
私が中学生の頃には完成し、小さな川の水を堰き止めた無数のため池に頼っていた香川県の農業が劇的に変化したようです。
完成当時のニュースなど記憶に全く残っていません。
そして1960年代に家族旅行で四国を回った時のおぼろげながらの記憶は香川用水以前の風景だったのですが、子どもだったので違いもわからないことが本当に残念。
もう一度あの時代に戻って香川を歩いて見たいものです。
*「四国4県による一大水利事業」*
「友情の水」は、高知・徳島・香川だけでなく愛媛にも送水されていることが展示されていました。
吉野川総合開発事業は、昭和41年、四国4県の同意により、大規模なダム群や水利施設が建設されましたが、その中心となるのが早明浦(さめうら)ダムです。年間8億6300万トンの用水を生み出し、四国4県に農業用水および都市用水として供給しています。
いつの間にかその名を知っていた早明浦ダムと吉野川総合開発事業が、初めてつながりました。
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