散歩をする 437 洪水の「自由蛇行」が作り出した場所を見て歩く

最初は、吉野川左岸側のまるでひび割れているかのように水色の線がはしる下流部に目が釘付けになっていました。

 

ところがよくよく見ると右岸側の徳島駅がある場所もまるで島のように周囲を水色の線で囲まれて、数本の川が放射状に描かれています。

四半世紀前に立ち寄った徳島駅というのはこんな場所にあったのかと驚きました。

 

この両岸のひび割れたような場所をすべてみてみたい。特に、旧吉野川から今切川が別れて二つの川が近づいたり離れたりしながら、最も細いくびれたような「松茂町」を歩いてみたい。

そして小鳴門海峡と旧吉野川河口を繋いでいるかのような撫養川の流れを確認してみたい。

鳴門線の南側に広がる水田地帯を見てみたい。

吉野川の流れも見てみたい。

徳島駅のある場所をぐるりと囲んでいる川も歩いてみたい。

 

次々と見たい場所が出てきて、二日目の計画は盛りだくさんになっていきました。

 

問題は交通手段ですが、松茂町のバス停をクリックしたらなんと徳島空港を経由して鳴門までいくバス路線がありました。

 

*川の流れがどちらかわからない*

 

第十堰を見たあと、再び第十バス停から同じ路線で徳島駅へと戻りました。行きとは反対側の風景です。

 

角の瀬のあたりで飯尾川沿いに走ります。行きは川とは反対の水田の方向を見ていたので気づかなかったのですが、ずっと眺めていても水の流れがほとんどわからない川でした。水面を見つめていると東から西へと流れているように見えて少し混乱したところで水門が見え、やはり西から東へと流れていることがわかりました。

Wikipedia飯尾川の「地理」が、錯覚の理由かもしれません。

流域の7割程度を占める平地のそのほとんどが吉野川の「氾濫原性低地」を主体とした沖積平野であり、流域南部は山地と丘陵地からなっている。

この辺りもまた洪水によって作られた流れと言えるのかもしれません。

 

吉野川をバスで渡る*

 

10時55分徳島駅前に戻りました。各地へ向かう路線が多い、広々としたバスロータリーです。

駅前のロータリーだと、こうしたバス乗り場へはいったん歩道橋のような高い場所に上ってまた地上のバス乗り場へ降りなければならないところが増えました。何かと歩行者にとっては高低差を歩く量が劇的に増えた半世紀でした。

徳島駅の場合は、バスロータリーへ平地の移動だけで済むので助かりますね。

 

11時20分の鳴門線に乗りました。車内は一杯です。

県道30号に入り、吉野川が近づいた吉野本町バス停あたりから住宅地に田んぼが残っているのが見えました。

悠々と川幅いっぱいに流れる吉野川を渡ります。明治以降に人工的に開削された放水路に干潟が形成され、時をかけてできた美しい川です。

川を渡ったところで、大半が下車して乗客は二人になりました。大学生だったようです。

 

じきに今切川を渡り、海側に河口堰が見えました。水量が多い川でした。

川を渡ったところで渋滞でノロノロの運転になりました。右手は工場が続き、「日清紡前」と「東亜合成前」というバス停にはさまれて「鯛の浜バス停」がありました。どんな歴史がある地域なのでしょう。

 

今切川の蛇行に沿ってバスは東へと進み、老門バス停のあたりから水田地帯になり、今切川から旧吉野川へ向かう水路を越えると、あのくびれたように細い松波町に入りました。

広島という地名のあたりでは「海抜1メートル」の標識がありました。

 

*今切川と旧吉野川干拓地*

 

まっすぐ国道28号線を東へと進むと徳島空港の敷地が見えてきました。

Wikipedia松茂町の歴史が書かれています。

吉野川から形成される三角州が町の大部分を占めている。また、干拓によって新田開発されている農業地帯であるが、徳島飛行場徳島とくとくターミナルが完成すると陸上と交通の要所になった。

空港のそばの海上自衛隊徳島教育航空群の東側に「豊岡開拓」、西側に「八山開拓」という地名があるのを見つけて干拓地かもしれないと思い、旧吉野川と今切川が最も近づいてくびれた場所からこの水田地帯を歩いてみたいという計画もあったのですが、今回はあきらめました。

 

空港のそばにはパナソニックの工場や県警本部や免許センターがあり、広々として日差しも明るく南国の雰囲気です。どこまでも海抜1メートルが続き、津波避難ビルもありました。

帰宅してから改めて地図を見ると、空港の北東には「豊久開拓」「福有開拓」そして「満穂」、そして旧吉野川にかかる大津橋の両岸にはそれぞれ「堤外」という地名があります。干拓の歴史をたどってみたくなりますね。

 

*いよいよ水田地帯へ*

 

吉野川の最下流にかかる大津橋を渡ると、東側の撫養川、北側の新池川にはさまれた水田地帯が右手に広がりました。

 

地図では南北の水路は整備されてまっすぐですが、東西へは蛇行した水路が複雑にその南北の水路と繋がっています。

ビニースハウスと水田、ところどころ蓮田と果樹園があり、縦横無尽に水路が通っていました。海抜4メートルの標識がありました。

 

気が遠くなるような年月の数えきれないほどの洪水によってできた土地に水田地帯が続いているのですから、水田は健在とホッとした私の半世紀ほどの水田の変化は、長い歴史の中で見ればちょっとした揺らぎでしかないのかもしれませんね。

それほど、確固たるものが続いてきたのだと。

 

圧倒されているうちに、川幅いっぱいに流れる新池川を渡り12時30分鳴門郵便局前に到着しました。1時間15分、470円の車窓の散歩でした。

 

 

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