昆陽池は想像以上に広く美しい公園で歩いてみたかったのですが、この日はここから武庫川の対岸まで歩くという無謀な計画でしたので先を急ぐことにしました。
直前になって決めた場所ですし、全く土地勘がないのですが、地図を見ているうちに昆陽という地名と昆陽池そして昆陽寺がつながってきて、ここを歩いてみることにしました。
「昆陽北」という地名がありますが、昆陽池の南側です。不思議だなあと思って地図を眺めていると昆陽寺があり、そのお寺の北側だからなのかとわかりました。
昆陽池公園の前に「奥畑緑地経由 昆陽寺 2.1km」とありました。「奥畑緑地」は昆陽池の北側を流れる天神川の左岸の地域です。
公園の目の前にある昆陽霊園の間の細い道を昆陽寺に向かって小さな水路ぞいを歩くと、北側の奥畑に向けて道が緩やかな下り坂になっているのがわかりました。
左手は大きな工場の敷地で、鉄条網の壁と内側には大きな木々が続いています。住友電気工業伊丹製作所で、1941年(昭和16)に操業開始されたようです。豊富な水ゆえでしょうか。当時はどのような風景だったのでしょう。
真上を飛行機が飛んで行きました。伊丹空港から2kmほどの場所です。
工場の敷地が終わるあたりから緩やかに下り坂になり、住宅地の中の蛇行した道ぞいには百日紅(さるすべり)や鮮やかなノウゼンカズラの花が生垣に咲いていました。
先ほどまでの小さな水路も暗渠になり、歩道になっています。
「昆陽寺まであと700m」になりました。前日ほどではないのですが汗が流れます。
ところどころ水路に水が流れていますが、以前は水田だっただろうと思われる住宅地や駐車場だけです。
武庫川を渡り切れるかなと不安になっていると、住宅地の真ん中に数軒分ぐらいの田んぼがありました。
黄金色になる手前くらいの稲穂が少し首を垂れ始めています。
行基さんがつくった昆陽池の水で育った稲に、また元気が出てきました。
その先に鎮守の森が見え、猪名野神社がありました。「明和6年(1770年)に建てられた」と書かれた石碑がありました。
*昆陽寺と水路*
その先の道を曲がると左手に黒みがかった灰色の大きな瓦屋根が見えて、11時ちょうどに昆陽寺に到着しました。
森のような中に静かに本堂があり、そばに東屋があります。そこで休憩させてもらいながら本堂を眺めました。静かな時間でした。
昆陽寺(こんようじ、こやでら)は、兵庫県伊丹市寺本にある高野山真言宗の寺院。山号は崑崙山(こんろんさん)。本尊は薬師如来。行基が創立した畿内49院のひとつ。西国街道(現・国道171号)沿いに位置し、地元ではこやでらを「行基さん」と呼ばれて親しまれている。
歴史
天平3年(731年)に行基が昆陽池を造成するのと並行して貧民救済を目的とした「昆陽施院」(布施屋)を創建したのが当時の起こりである。
やはり「行基さん」と親しまれているのですね。
Wikipediaの「昆陽寺」には4月に行基さん祭りがあることが書かれていますが、どんなお祭りなのでしょう。
そばを通る交通量の多い国道171号線の騒音が嘘のような静寂の中でしばらく行基さんに思いを馳せたあと、真っ赤な山門を出て歩き始めました。
お寺の前には水路がありその周囲には美しく木々や草花が咲いています。惹き込まれるように少しだけ戻ってその場所に行くとベンチのある小さな公園で、濃いピンクの花の向こうに昆陽寺の大きな屋根が見えました。
「昆陽池前緑地 コミュニティ花壇 寺本自治会」と手作りの案内板がありました。
なんだか行基さんとともに生きているような、ふと錯覚に陥ったのでした。
「散歩をする」まとめはこちら。