散歩の2日目、明け方は小雨が降っていたのに天気予報どおり晴れてきました。
さて今日は午前中に、丸亀市内のいくつかのため池と用水路を繋ぎながら歩き、丸亀城を訪ねる計画です。
出発前にスマホの地図を眺めていると、現在地さえGPSがずれています。ため池とため池の間の所要時間を確認しようとすると、10分ほどと思われる区間が47分と計算されてかなり不正確です。
やはり地方に行けば行くほど地図に把握されていることがまばらになるのでしょうか、丸亀市内でさえこんなにいびつなのですから都内の感覚でインターネットの地図を利用しようとするとちょっと危険ですね。
「デジタル」という言葉は決して魔法ではないとつくづく感じます。
8時5分にチェックアウトし歩き始めました。27度なので快適かと思ったらすでに日差しが強く結構蒸し暑く感じます。
計画では数ヶ所のため池を見る予定でたいそうなタイトルにしてみましたが、どうなることでしょうか。
*田村池とツルボ*
北東へと住宅街を歩くと、家の間に現役の水路と水田がたくさん残っていました。良い香りが満ちています。稲穂が重くなり、トンボが飛んでいて、その向こうに讃岐富士が遮られることなく見えています。ほんとうに美しい街です。
ちょうど通学時間帯で、ヘルメットをかぶって自転車通学の中学生とたくさんすれ違いました。全国どこでも中学生の通学の風景はなぜか半世紀前とあまり変わらないので、時々時空を超えてしまったような感覚に陥ります。
まっすぐ歩くとりっぱな鎮守の森と石垣に囲まれた田村天満宮があり、長い参道のそばに保育園がありました。保育園へは皆さん車で送りに来ているので、これは現代の風景ですね。
参道沿いに水路があり、その先に田村池の堤が見えてきました。
地図でも目をひく大きなため池です。さらに南側に太井池が続いているようです。
夏草に覆われた土の堤防は見上げる高さで、上りつめたらどんな風景でしょう。
下を向きながら急な坂を歩き始めると両側になんとツルボが群生していて、まるでいざなってくれるかのようです。昨年からツルボを探しに東へ西へとなかなかかなわない夢が、目の前に広がっていました。
堤防の真上に立つと、広大なため池でした。3kmぐらい離れているでしょうか、讃岐富士の姿が水面に映っています。
「田村池太井池改修記念碑」という大きな石碑がありました。国営総合農地防災事業だそうです。
沿革
この池の起源は今日明らかでないが、寛永10年(西暦1633年)以前に築造され、その後田村池の東側に隣接していた山北池を文化年間に境の堤を除き1つの池としたようである。また昭和3年から昭和51年の間に堤防全面コンクリート壁、堤防前法保護擁壁工事等の改修工事が5回程行われてきた。近年老朽化が著しく堤体全体から漏水を見るようになり関係者を憂慮させていたが、待望の国営総合農地防災事業として堤体工・取水工・洪水吐工の各改修工事が、また太井池においては県下で始(*ママ)めての環境配慮型工事として平成17年3月に竣工した。この度の全面改修に先人の苦労を偲ぶと共に今後本溜池が地域発展の為に活用されることを祈念しその改修経過を刻しここに記念碑を建立するものである。
美しい水面とツルボ、幸先の良い一日になりそうです。
堤防の上は遊歩道になっているので、朝の散歩の方ともすれ違いました。うらやましい生活です。
*馬池へ*
遊歩道の草むらを眺めながら歩きましたが、ツルボが生えていたのはあの堤防への上り道だけでその後は1本も見つけられません。ほんと、不思議な花です。
歩き始めたばかりというのにすでに汗だくです。
田村池の南数百メートルの庄ノ池から水路沿いに北へ馬池を目指す予定でしたが、暑さのため庄ノ池は断念しこのまま馬池へと向かうことにしました。
田村池の堤防から降りると、そこに池からの水路と分水路が流れ、そばに小さなお社がありました。水の神様でしょうか。
ため池以外はどこまでも平地に感じるほど、起伏が少ない街でした。
讃岐山脈が南側なので、日本海側を歩いている時のように「南下」すると海になる場所で育ってきた私は方向感覚がおかしくなるので、時々讃岐富士で位置を確認しながら歩きました。
田村池からの2列の分水路を渡り、その先の田んぼの向こうに馬池の堤防が見えてきましたが行き止まりです。堤防の上への道まで迂回しました。
あちこちから夏草と秋の草花のよい香りが漂ってきます。
馬池はどんな風景でしょう。
上り詰めると周囲の道は白い砂で、水面にくっきりと讃岐富士と青い空そして雲が映り息を呑む美しさです。
どのような歴史があるため池かわかりませんでしたが、「第二種区画漁業 魚類養殖業」の白い木棒が立っていました。
*馬池から宮池へ・・・*
馬池の堤防沿いの草むらも眺めましたがツルボは咲いていません。
でもこれだけたくさんため池と田んぼがあるのでまた出会うことでしょうと、気を取り直して馬池の下へ降りると、水路の上を白鷺が舞っていました。これもまた美しい風景ですね。
馬池からさらに上流のため池からの水路が合流しているような場所を渡り、その先にある宮池と十二社宮を訪ね、さらに北側の聖池まで歩いたあと丸亀城を訪ねる予定です。
ところが29度だというのに暑さは尋常ではなく、汗も引かなくなってきました。
途中、鎮守の森が見えたので涼ませてもらうことにしました。
地図では住宅街に素戔神社とありますが、境内の由来には「素戔嗚神社」と書かれていました。「すさのお」ではなく「すさのう」とふりがながありました。日本語は本当に難しいですね。
「宝亀五年(約西暦七百七十年頃)」に建立されたらしいことと、当時「疾病流行し天下国民大に煩ひ、天徳に達し勅して疫神を諸国に祀る其の一なり」とありますから、行基さんが亡くなった直後の時代はまだまだ混乱が続いていたのでしょうか。
このあたりにも池があったことが記されていました。
傍示池(ほうじいけ、太夫池(だゆういけ))の地名は古くより荘園のありし由緒に依る。
この一帯は素戔嗚神社の荘園であり、そのしるしの杭をうってあった所が、今の榜示池のあたりであろう。
この神社の由来が書かれたのが1978年(昭和53)で、2021年(令和3)の「丸亀市ため池データーベース」には「榜示池」はないので、この半世紀ほどの間に埋め立てられたのでしょうか。
ちなみに「榜示」には境界の杭以外に「馬場の仕切り」の意味もあるようなので、馬池とも関わりがあるのでしょうか。
ひと休みで立ち寄った場所でも生活している場所の歴史を知ることができるのですから、すごいことですね。
さあ宮池へと歩き出したところで、すぐに汗が流れ始めました。
汗が止まらなくなるようでは危険ですね。救急搬送のお世話になるようでは医療従事者失格ですから、ここで断念して冷房の効いた場所で休憩をとることにしました。
数百メートル先の国道11号との交差点にコンビニエンスストアがあるようです。
その先に、丸亀城が見えています。
近くに見えるのですが、こういう平地では距離感覚もおかしくなるので要注意です。
ため池2ヶ所で早くも計画の見直しになり、壮大なタイトルとは違ってしまいましたが十分に満足の散歩になりました。
ちなみに丸亀市のそのデーターベースでは454箇所のため池が記録されていました。
またまたやり残した宿題ができてしまいました。
「散歩をする」まとめはこちら。