散歩をする 498 泉が湧き、狭い川瀬の小谷がある地を歩く

食べきれなかった揚げ春巻きを持ち帰りにしてもらいいったい私は今どこにいるのだろうと混乱したまま店を出て歩き始めると、東へと坂道を登る途中にお寺があり我にかえった感じです。

そうそう、この散歩はここから新幹線の線路沿いに歩く散歩で、今私は現代の日本にいるのでした。

 

坂道をのぼり切ったところは見渡す限りの畑地になりました。車窓から見えた畑はここかなと思いましたがあまり記憶にない風景ですし、一向に新幹線の気配がありません。それもそのはず、畑の北側が切り通しになってそこを通過しているようです。車窓では見えませんね。

台地を切り拓いたところを通過しているようです。

 

しばらく下から聞こえる走行音に沿って畑地の道を歩くと、第二和泉跨線橋という環状4号線との交差点があり、そこを越えると下り坂になって小さな川を越えました。北側を新幹線が通過していくのが見えました。和泉川のようですが、次回は見落とさないようにしたいものです。

 

 

*阿久和川*

 

川を渡るとすぐに上り坂で、神社のすぐ先の道を北へと曲がると古くからの住宅も残る一角があり、その道の先に新幹線の高架橋が見えました。

ぼーっと新幹線が通るのを眺めていると、細い道なのにけっこうトラックが通ります。牛舎もありました。どんな地域の歴史があるのでしょう。

手前を右へと曲がると、住宅が途切れたところにまた台地の上のような草むらが続き、ここは同じぐらいの高さで新幹線が通過していくのが見えました。

 

その先に団地と小学校があり、「阿久和」という珍しい地名です。また小さな牛舎がありました。

ここから両側が森と公園になっている急な下り坂になり、小さな水路のような川をこえると遊水池があり、その先が急な上り坂です。

 

北側を新幹線が通過して行きました。地図で確認すると、新幹線の線路の北側200mほどのところにある熊野神社のあたりから水色の線が始まっています。Macの地図では川の名前がわからないのですが、ここから南へ流れてJR戸塚駅の近くで柏尾川に合流する阿久和川であれば水源はさらに北側の長屋門公園で、数百メートルの暗渠区間がありそして大きな遊水池が作られるくらいですからたびたび洪水が起きた川でしょうか。

 

*「池の谷」へ*

 

阿久和川を渡るとその左岸はまた見上げるような坂道です。

下を向きながらのぼり切ると、また台地の上のひらけた感じかと想像していたら少し違いました。

尾根のような場所で、すぐ先に穴のように低い場所があります。ここが地図では灰色に描かれている「池の谷」でどんな場所なのか以前から気になっていました。

 

地図に「神明台処分地スポーツ施設」あり、ゴミの最終処分場だとわかったのは中学生の頃にその名前をニュースで耳にした記憶があったからでしょうか。

1973年10月から第一次埋め立てが開始され、以降2011年3月末までの第7次埋め立てを以って終了した。約40年に渡る埋め立て期間は全国最長である。埋め立てが始まった1973年当時、いずみ野線は開通しておらず住宅も殆ど無い状況で、一部の地主が所有する広大な里山と農地しかなかった。所謂、陸の孤島で土地の利用価値は非常に低く、最終処分場として好都合の場所であった。

Wikipedia、「泉区横浜市)」、「現代」)

1970年代、全国の都市部でのゴミ問題が大きくなり埋め立てから焼却への転換期の軋轢もまた大きい時代でした。

 

陸の孤島」の北西100mほどのところに新幹線が通っています。なぜ今までこの場所に気づかなかったのだろうと不思議だったのですが、実際に歩いてみてわかりました。弧を描くように通る処分場の北西部の道は尾根のように高い場所で、新幹線の通る地域へとまた斜面になっていて高い木々がありましたから、おそらく車窓からは森のように見えたのでは無いかと思います。

こんな近くを通っていたのですね。

ちなみに埋め立てられた現在もすり鉢状でだいぶ低く見えるのですが、かつてはもっと深い谷だったのでしょうか。

 

 

南万騎が原駅へ*

 

あちこち寄り道していたら日没が近くなってきました。二俣川駅までは無理そうなので、南万騎が原(みなみまきがはら)駅に向かうことにしました。最終処分場の端から駅までわずか数百メートルと思ったら、急な坂道を下り、そしてまた急な坂道を上ると車道の下をくぐって駅側に出るという高低差のある場所でした。

わずか100mほどのところを新幹線が通っているというのに、小高い場所に遮られて気配も感じません。こんな場所を通過していたのですね。

 

あと少しで南万騎が原駅というところで大きな池がありました。相鉄線所有の遊水池のようです。その向こうに少しだけ新幹線の高架橋が見えて、下りが夕陽に輝きながら通過して行きました。小高い場所のように見えるここに遊水池が必要とされるのはなぜなのでしょう。

 

いやあ、それにしてもわずか7kmほどでしたが、アップダウンの多い散歩でした。

 

そしてようやく到着した南万騎が原駅も谷の底に線路が通っているような場所で、とてもこのあたりの地形は覚えられそうにありませんね。

 

 

泉区瀬谷区

 

今回の散歩大和市から泉区瀬谷区をまたいであるきましたが、泉区瀬谷区という区名から湧水が多そう、谷が多そうというイメージでした。

 

横浜市の南西部に位置し、相模野台地と呼ばれる関東ローム層に覆われた比較的平坦な台地の一部で、区の西側を境川と和泉川が南北に流れ、北側を阿久和川、東側を宇田川(村岡川)が流れている。台地の辺縁には湧水が分布する。

Wikipedia泉区横浜市)」「地理」)

 

区域は大和市との境界である境川に沿って南北に細く5つの川が流れている。

Wikipedia瀬谷区」「地理」)

 

まさに「南北に細く流れる5つの川」が作り出した地形を歩いたようでした。

ちなみに「瀬谷」の由来は「狭い川瀬の小谷がある土地に由来」(同)もあるようです。

 

相模原(あるいは相模野)台地の辺縁部の複雑な地形を、新幹線はまっすぐ通っていることがわかりました。

 

 

 

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