生活のあれこれ 41 ごみについてのまとめ

神明台処分地のそばを散歩したことから、ごみ処理方法の驚異的な時代の変化のまっただ中を生きてきたのだと改めて思いました。

 

ところで「ごみ」という言葉はどこからきたのだろうと、今まで気にしていなかったことが気になりました。

意味

ゴミとは、物のくず、不要になった廃棄物。汚い屑。

語源

ゴミは、主に農家で「木の葉」を表した言葉で、各地の方言にも「木の葉」を指す言葉として残る。(中略)

ゴミが「塵(ちり)」や「土ぼこり」の意味になったのは近世以降で、不要物であるため、その頃から「取るに足りないもの」「役に立たないもの」の意味でも「ゴミ」の語は使われ始めた。

(「語源由来辞典」)

「木の葉」から「塵(ちり)」「土ぼこり」が不要のものになって、現代の「ごみ」になったのですね。

 

1960年代ごろの幼児の記憶だと、これに「生ごみ」と「雑紙」ぐらいでたまにプラスティックが含まれるぐらい現代に比べればまだまだごみの少ない時代でしたが、人口が急増してゴミ処分も追いつかなくなっていた頃だったのでしょう。

 

Wikipediaの「ごみ」を読むと、さらに資源としての価値やごみと情報、ごみと所有権と、単にその指す内容の変化だけでなくごみの存在自体が複雑になった時代だったのだと改めて思い返しました。

さらに「ゴミ」というカタカナ表記は差別的なニュアンスにもなるとか。

 

ブログを始めて12年ほどで、いつの間にか「ごみ」について書いたものが溜まってきたのも、こうした時代を頭の中で整理したかったからだとつながりました。

ちりも積もれば山、でしょうか。

 

<2012年>

カラスの巣作り

<2013年>

頑丈なカプセルの内と外

ものを持たない暮らしとの葛藤

<2014年>

ものの片付け方

掃除は誰のため?ーpublicという概念ー

大量に出る医療廃棄物

物がなければゴミもない

<2016年>

高齢者のゴミ捨て

夜は軽く、家で料理をしない

ごみの最終処分地だった「夢の島」

<2017年>

赤ちゃんのお尻ふきと紙おむつ

<2018年>

野菜や果物の保存

90年代のダイオキシン問題の頃

最後は海へ

<2019年>

「村八分訴訟」

村八分

環境に配慮するという意識

東京ごみ戦争歴史みらい館

「反対期成同盟」

土はゴミではない

使い捨てカップの飲み物

<2020年>

道路のごみ問題と道の駅

なぜ「エコ」に胡散臭さを感じてしまうのか

築いてきたものが簡単に壊される

雨は大量のゴミを海に流す

使用済み紙おむつの処理

<2021年>

なかなかペーパーレスにはならない

ゴミ置き場がなく飛ばされるゴミもないトヨタの街

しょぼさの理由

他の人の生活を知らない

境川の都県境を行ったり来たり(都県境のごみ収集)

なぜレジ袋がターゲットになったのか

ごみの捨て方をどのように習慣にしているのだろう

公共の場に家庭ごみを捨てる人

<2022年>

「野心的なマイルストーン」と便乗値上げ

琵琶湖西岸から北陸を通って帰宅(大雨の後の災害ごみ)

<2023年>

ごみ収集がストップしないありがたさ

不燃物が宝物に

<2024年>

新幹線の車窓から見える温水プール

池谷の神明台処分地

「写真で見る横浜市ごみ回収の歴史」

 

 

 

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