神明台処分地のそばを散歩したことから、ごみ処理方法の驚異的な時代の変化のまっただ中を生きてきたのだと改めて思いました。
ところで「ごみ」という言葉はどこからきたのだろうと、今まで気にしていなかったことが気になりました。
意味
ゴミとは、物のくず、不要になった廃棄物。汚い屑。
語源
ゴミは、主に農家で「木の葉」を表した言葉で、各地の方言にも「木の葉」を指す言葉として残る。(中略)
ゴミが「塵(ちり)」や「土ぼこり」の意味になったのは近世以降で、不要物であるため、その頃から「取るに足りないもの」「役に立たないもの」の意味でも「ゴミ」の語は使われ始めた。
(「語源由来辞典」)
「木の葉」から「塵(ちり)」「土ぼこり」が不要のものになって、現代の「ごみ」になったのですね。
1960年代ごろの幼児の記憶だと、これに「生ごみ」と「雑紙」ぐらいでたまにプラスティックが含まれるぐらい現代に比べればまだまだごみの少ない時代でしたが、人口が急増してゴミ処分も追いつかなくなっていた頃だったのでしょう。
Wikipediaの「ごみ」を読むと、さらに資源としての価値やごみと情報、ごみと所有権と、単にその指す内容の変化だけでなくごみの存在自体が複雑になった時代だったのだと改めて思い返しました。
さらに「ゴミ」というカタカナ表記は差別的なニュアンスにもなるとか。
ブログを始めて12年ほどで、いつの間にか「ごみ」について書いたものが溜まってきたのも、こうした時代を頭の中で整理したかったからだとつながりました。
ちりも積もれば山、でしょうか。
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