水のあれこれ 345 下末吉台地の端を流れる矢上川

かつての二ヶ領用水が潤した田んぼだろうと思われる平地を、その水路ぞいに歩きました。

通常は下流に向かって水量が増えるのに、その先の矢上川に合流する手前のあたりで急に水量が減りました。

 

堰のような場所があったので、そこからどこかへと水が分けられたのでしょうか。これもかつての分水堰だったのでしょうか。そして現代の住宅が密集した低地に水を溢れさせないためのマジックを見ているような気分ですね。

 

矢上川との合流部の目の前は日吉キャンパスのある高台で、合流部から西へ少し矢上川を遡ると新幹線の高架橋があります。

さっそく上りの東海道新幹線がキャンパスの下のトンネルから出てきました。そして下りの新幹線がトンネルへと吸い込まれるように消えていきました。

いつも車窓から見ていたこの高台とそばを流れる川に立って新幹線を眺める計画を達成できました。

何本見ても飽きない風景ですが、11月中旬、日没が早いので急がなければなりません。

 

遊歩道には花壇が整備されていて、いろとりどりの花が咲き、枇杷の花の甘い香りが漂っています。もうじき冬ですね。

ここから矢上川は高台に沿ってぐいっと南へと大きく向きを変え、その先には高台の下に住宅地がありました。

上小学校のそばから上り坂になり、途中カントリークラブが高台の斜面に造られていて、そこを過ぎると、トンネルから出てきた新幹線が通過していくのが見えましたがすぐにまたトンネルに入ります。現れては吸い込まれる新幹線をまた見続けたい誘惑に駆られながら、先を急ぎました。

 

右手の急斜面に建てられた家へと見上げるような階段があります。斜面の住宅地が途切れると森へと変わりふもとは農家の住宅と畑になりました。皇帝ダリアがみごとで、大根や里芋そしてブロッコリーが植っています。

地図ではこの高台の上は慶應義塾高校の野球場やらアメリカンフットボール場で、その下を新幹線が通過しているようですが、ここから見るとその気配はありません。

 

高台が終わる頃、切り崩した斜面の住宅地になりその屋根越しに新幹線が現れました。シュールですね。

ここからは高架橋になり、鶴見川左岸の平地をおそらく20秒もかからないで通過している場所です。どこまでも平らな道を、少しずつ新幹線の高架橋から離れながら新綱島駅へと30分ほどかけて歩きました。

 

2023年3月にできたばかりの駅ですが、周囲はまだ工事中で駅舎らしいものもありません。鶴見川の下を通っているためでしょう、地下へ通りていくエレベーターで深いところにホームがありました。

 

 

*矢上台と矢上川*

 

まさに下末吉台地の端っこを歩いた散歩になったのですが、Wikipedia矢上川の地理にその場所の説明がありました。

(前略)以降、下末吉台地北縁を南東に流れ、川崎市幸区矢上で、慶應義塾大学理工学部(矢上キャンパス)の載る矢上台の縁を回り込むように90度近く向きを南に変え、矢上台と加瀬山の間を抜けて、鷹野大橋で鶴見川に合流する。加瀬山より南側の川崎市幸区南加瀬付近から鷹野大橋までは、矢上川の全工程中最も屈曲(蛇行)が激しかったことが、明治時代や大正時代の地形図で明らかであり、三日月湖の存在も見て取れる。最終氷期最寒冷期に河川は深く下刻したが、この時の矢上川(古矢上川)は、ボーリング地質調査などから、子母口で古多摩川と合流していたと推定される。従って、現在のように、矢上で多摩川低地を離れ、鶴見川支流となったのは、地質年代では比較的最近の、縄文海進が海退に入り陸化した縄文後期以降のこととされる。

 

新幹線の車窓から見える日吉の高台とその手前を曲がりながら流れる川のそばを歩いてみたいと出かけましたが、気が遠くなるような地面の歴史によるものだったようです。

こんな「比較的最近の縄文期」と突き止めていることも、こうした地形を踏まえた上で新幹線が安全に通っていることもすごいものですね。

 

 

 

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