これはないと思う 「助産雑誌 9月号」その3

私が助産師になってからの二十数年は、ちょうど「自然なお産」や「いいお産」の呼び声が高まっていく時期に重なっていました。


その動きは、病院の安全性に加えて快適性をという方向ではなく、医療介入をしないことが良いかのようなイメージの方向にむかってしまいました。


「自然なお産」「いいお産」などは常に病院のお産と対比して語られ、さらには病院で働く助産師は「自律(あるいは自立)していない」「開業する能力がない」とまで言われる時代になってしまいました。


いや、私たちにすれば全ての出産の中で「正常に経過するお産」の介助は一部でしかないわけで、異常になっても分娩介助をし続ける時代になったということだけなのですが。


そして、その二十数年はちょうど周産期医学が急激に進歩した時期にも重なります。
30年前だったらわからなかった異常が解明され、たくさんの予防法や治療方法が確立されていきました。


そう、30年前なら知らなくても済んだことや、救急対応もできなくてしかたがないことがたくさんあったから私も開業したかもしれない。
お母さんと赤ちゃんに何かあっても、仕方がなかったと思えた時代ではなくなりました。


日本助産師会 改革の20年>


助産雑誌9月号に、「日本助産師会 改革の20年とこれから」として岡本喜代子会長へのインタビュー記事があります。


助産師会というと世間的には「日本の助産師全体の職能集団」のようなイメージがあります。
実際には、インタビュー記事にあるようにもともとは開業助産師を対象にした団体でした。

1992年に大阪府助産師会の会長だった多賀琳子先生が本部会長になり、その頃から日本助産師会の改革が始まりました。
もともと、日本助産師会は開業助産師が中心の会だったのですが、将来を考えると勤務助産師にも入ってもらわないと会の発展はないと多賀先生はお考えだったんですね。
(中略)
日本助産師会の会長になってから、多賀先生は部会制の整備に着手されました。
勤務助産師と、助産所でお産を扱う助産師と、保健指導のみを行う助産師では会としての支援内容が違ってきますので、3部会制にしたのです。それを定款に位置づけたのは1995年でした。

1980年代後半に助産婦学校を卒業する直前に、助産師会の説明を受けて、是非入会して欲しいということがありました。
思えば、あの頃は本当に開業助産師の活動は風前の灯だったのだと思います。
その後、1990年代になってなんとか会を維持するために勤務助産師も入会させるようになったということなのでしょう。

次の近藤潤子先生が会長のときに実行されたことで大きな意味があるのは、やはり助産師の声明」を出したことです。それから2009年に助産師の必須能力を示した「コア・コンピテンシーをつくり、社会に向かって、日本の助産師は何をする人なのかということを発信し、助産師が果たすべき社会的責務や必要な能力を明確にしました。


ところで、「助産師ニュースレター6 <どのような助産師を育てたいのか>」http://d.hatena.ne.jp/fish-b/20120324で書いたように、私自身、日本の助産師の方向性というものがどこでどのような人たちによって決定し進められているのか、いまひとつよくわかりません。


いつの間にか、声明やら政府への要望書やらが出されて、知らない間に大事なことが決められていきます。
助産師の世界には、「奥の間」みたいなところがあるのだろうと思っています。


1990年代から勤務助産師を取り込んだのも、会を存続することが一番の目的だったのではないかと思います。
助産師全体の活動を考えていく立場であったら、「全ての出産、全ての妊産婦さん」を対象にしたものへと変っていくはずです。


ところがつい最近まで、日本助産師会のHPの最初のページは「自然なお産」「正常なお産」「医療をつかわない」などのうたい文句で書かれていました。
あのホメオパシーのあと、ちょっと変りましたが。
あれを読んだだけでも、勤務助産師をも対象にした団体ではないと思っていました。


<実践能力を高めるための卒後研修制度>


インタビューでは以下のような部分があります。

私が事務局に入った当時から問題になっていたのが、助産師の実践能力の低下でした。お産を扱う開業ができるような力を持った助産師が減っていたのです。

インタビューアーの「それは、開業助産師のことでしょうか」の質問に、以下のように答えています。

いえ、全体ですね。教育制度が変って、実習時間がぐんと減りました。だから、理論はわかってもあまり実践ができない。
そうなると、医師に言われたことしかできない助産師しか育たないんです。
それでは開業も無理だし、現在の院内助産のように自律的に施設で働くこともできない。

事務局に入ったのが1995年と書かれています。


たしかに助産師教育課程で経験するべき10例の分娩介助もしないまま卒業する人が増えました。
新卒を受け入れる病院側の負担も大きくなりました。


でもどちらかというと、周産期医学の進歩で異常の早期発見により正確性をもつことが要求される時代に入ったことが大きいと思っています。
慎重に、医師とともに判断するべきことが格段に増えた時代なのです。
また産む人も、高齢化、心身の合併症の増加、社会的な問題と変化がたくさんありました。


「大丈夫、ほとんどのお産は正常に終わる」と、根拠のない自信でお産に向かっていった時代は終わったともいえるでしょう。


そうした臨床の試行錯誤や葛藤に対して、実際的な解決のため(人手を増やす、労働条件を改善するなど)の働きかけをしてくれるわけでもなく、「自律していない」なんてどうして言えるのでしょうか。


日本助産師会が1996年から始めたという卒後研修制度。
その中に、ホメオパシーや吉村医院の研修会もありました。


<今いちばん力を入れているのは助産所の安全>


今いちばん力を入れているのは、やはり助産所の安全です。助産所のお産の安全性がきちっとしていないと、ほかに何をやっても駄目なんですよ。ですから、安全のための研修会を増やしたり、助産所からの転院事例を分析したりということをきちんとやっていくようにしています。

それは大事なことだと思います。

助産所の安全に関しては、厳しいと言われるぐらいにいろいろな体制を整備していくつもりです。会員が自ら改善していく限りは、私たちはどこまでもサポートします。
だからこそ、事故を起こさないようにガイドラインを遵守したり、受けなければいけない研修はきちんと受けてもらいたいんです。


そのためには、まず安全対策室をはっきりとわかるように復活させることではないでしょうか。開業助産師のもとで出産したお母さんや赤ちゃんをサポートするために。


琴子ちゃんのお母さんが、琴子ちゃんを亡くした事故後から日本助産師会の安全対策室とやりとりした記事が残っています。
「どういうこと?」  2005年9月7日
http://d.hatena.ne.jp/jyosanin/20050907
日本助産師会の対応」 2007年3月2日
http://d.hatena.ne.jp/jyosanin/20070302
そして驚いたことに、「琴子を亡くした年の秋に丁度開設したものだったので、2003年(平成15年)のことなのだけれど無い」。
安全対策室が突如としてHPからなくなりました。
「消えた?! 『安全対策室』」2010年2月26日
http://d.hatena.ne.jp/jyosanin/20100226


<これはないよなぁ、助産雑誌>


助産師会創立85周年の記念インタビューですから、おめでたい内容ということもあるのでしょう。


でも、研修制度と助産所の安全を重要だと思われているのであれば、あのホメオパシーの研修会や代替療法の広がり、助産所・自宅分娩の安全性の実際についても触れて欲しかったですね。


そしてもういい加減、病院で働く助産師を「自律していない」と表現するのはやめて欲しいものです。
開業しないことが能力がないかのように書くことも。


そうそう、助産師会が助産師全体を代表しているかのような印象をもたせる記事にも慎重であって欲しいですね。
助産師会は助産師全体の方向性を決めようなんて手を広げずに、まずは足元の開業助産師の活動の安全性から見直したほうがよいのですから。