災害時の分娩施設での対応を考える 8 <現場の智恵に学び、活かす>

「ペリネイタルケア」2013年3月号(メディカ出版)では、「特集 必ずくる、きっとくる日に備えよう! すぐに役立つ!災害時の助産業務マニュアル」として、宮城県にあるスズキ病院の方の経験がまとめられて参考になりました。


スズキ病院はベッド数103床、全職員125名、年間分娩件数約900件と体外受精約400件を行っている、規模の大きな産婦人科専門病院のようです。


東日本大震災直後の様子から、ライフラインが復旧するまで10日間、具体的にどのように対応していたかが書かれています。


また自家発電施設はあったけれども、地震によって破損し使用できなかったようです。



大震災から2年、おそらく当時のことは思い出したくないこともあるでしょうし、記憶もあいまいになっていることもあるのではないかと思います。思い出すよりも、復興のために前に進むだけでも大変な毎日だったのではないかと思います。


その中でこれだけ当時の産婦人科病棟の様子、実際の対応をまとめてあるのは貴重なことだと思います。


<緊急対応の実際>


地震直後の手術室、治療中の新生児、産婦の搬送などについて書かれていますので、部分的に紹介します。


震災時、手術が行われていたそうですが、ちょうど閉腹が終わった時点だったようです。


あの余震が続く時期に、私自身も心配していたことはこの術中の対応でした。
分娩ならなんとかなると思うのですが、帝王切開で開腹している最中にあれだけの地震が起きたら・・・と想像すると、まったくもって答えがでません。


保育器に収容して点滴治療中の新生児については、保育器と輸液ポンプが停電で使用できなくなったので、点滴を中止し、父親あるいは母親が抱いて保温してもらったようです。
保温の工夫としては、コットの上からサランラップを巻いたり、ディスポ手袋にお湯を入れて口をしばり湯たんぽ代わりにしたことが書かれていました。


津波にのみこまれて救急搬送されてきた妊婦さんを受け入れ、さらに大学病院にまで母体搬送した様子が書かれていました。

妊婦は車で海岸線を走っていたら、津波に車ごとのまれた。流れが弱まったところで、橋の上にいた人に救助されたという。搬入時は妊婦は全身けいれん、重度のチアノーゼ、血圧触知不能、重度の低体温症と診断され、胎児徐脈(FHR60〜80bpm台)も起こっていた。ペアーハガーで全身を加温しながら、医師と助産師が同乗して大学病院へ搬送となった。

あの大震災直後、想定外の状況が次々に起こる中で、自施設内のことだけでなく津波にのみこまれてショック状態で搬送されてきた妊婦さんの対応までされていたこと。この一文を読むだけで、その緊迫感に息がつまりそうになりました。


震災後2日、まだ通信手段が復旧していない3月13日に、東北大学医学部から医局長が「伝令」で来院し、今後帝王切開はみやぎ県南中核病院へと集約していくことが伝えられます。


そのために予定帝王切開の方の紹介状作成、そして県南中核病院への医師・助産師の応援派遣などにも対応し、県内での周産期システム連携のための業務もまた想定外の部分だったのではないかと思いました。


<教訓のようなこと>


約40ページにわたるスズキ病院の方の報告やまとめ、そのすべてから教訓が得られるのですが、その中でもいくつか紹介してみようと思います。

地震直後の産婦の管理
(前略)当院では11年前からフリースタイル分娩を実施しており、分娩場所は問わなかった。しかし、夜になり病院に津波の被害がなかったので、物品が揃っている分娩室での分娩の方が安心だと考え、災害対策本部長と相談の上、産婦は分娩室管理とした。

他誌に震災直後のスズキ病院の分娩室の写真が掲載されていた記憶がありますが、床一面に物が散乱した状況でした。
その写真の中で、安全な場所は分娩台の上しかない状況でした。


また、停電のために吸引器が使用できず、鉗子(かんし)分娩を行ったようです。

3月11日22時15分、地震後初めての分娩介助を行った。鉗子分娩で出生し、(以下中略)。
大学によって、鉗子分娩への取り組みはさまざまであるが、今回のような停電時には、古典的な技術を習得しておくことは極めて重要である。

ミルクの確保についても書かれています。

 
震災時、乳児の母親は粉ミルク、沸騰したお湯、清潔な哺乳ビンがないことで大変苦労した。当院でも「孫の粉ミルクが買えない」とやってきた祖父や母親に粉ミルクを提供したが、初めの頃は、いつまでこの状況が続くのか分からず粉ミルクを提供できずにいた。しかし、ラジオで乳児を預かっている祖母が、嫁が海岸の勤務先を出たまま行方不明になって、孫が飲むミルクがなく途方に暮れていると話すのを聞いて粉ミルクを放出することを決めた。母乳が一番であるが、このように母親が亡くなったり、けがなどで人工乳が必要なケースもある。


災害に備えるというのは、日ごろ想像もつかないような事態に直面することへの心構えとも言えるかもしれません。


こうした実際の体験談を読んでもなお、それが自分の施設で起きた時に万全の対応策というものはなかなか想い浮かばないものです。


でも実際の体験談を読む時には無意識のうちにも自施設でのシミュレーションを頭の中でしているので、やはり経験に学ぶことは大事だと思いますしいざという時に必ず活かせるのではないかと思います。


未曾有の大震災でしたから、分娩施設における防災対策を見直していくことは大事です。


でも、だからこそ拙速にマニュアルを作るよりは、さまざまな施設や被害状況の中での、さまざまな想定外の経験をまずは集めることが第一歩ではないかと思います。


まずは各県の各施設での状況、そして地域の周産期医療の状況と全貌を知りたいと思うのです。
まだ記憶が新しいうちに、データーとして集める。
ただただ、経験を事実として集める。
それがマニュアル作成の前にまず必要なことではないかと思います。




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