記憶についてのあれこれ 12 <父の安全運転>

通勤途中に、交差点が坂道になっている場所があります。


交差点から入ってくる車はアクセルをかけて一気に坂を上ろうとしますが、片側一車線で、歩道部分も狭い道です。


しかもそのひとり分の幅があるかどうかの歩道の真ん中に電信柱が立っています。


その歩道を誰かが歩いていると、車は一気に坂道へと進入できないので上り坂を徐行することになりますし、一台が徐行すれば後続の車も坂道で止まりそうになります。


また歩行者がその電信柱の横を歩けば車道に体がはみ出てしまうので、車は坂道で一旦停止をして待つことになります。


歩行者優先とはいえ、車を一気に通行させてあとでゆっくり歩いた方が歩行者・車ともに安全だしストレスがないかと考えるので、私は車が通り終わるのを待つことにしています。


私のように待つ人もいれば、車が来てもズンズンと歩く人、さまざまです。


<運転者の目線になっている>


前回の記事に書いたように私はペーパードライバーなのですが、歩いている時にも自分が車を運転しているかのような感覚をふと感じます。


自分が歩行者でありながら、私を見ながら運転している人になっているような目線で車と私の距離を考えたり、行き違う速度を考えて歩いたりしています。
皆さんも同じような感じなのでしょうか。


車を運転したことは数えるほどしかないのに、なぜこんな感覚になるのか不思議なのですが、もしかすると小さい頃から父の運転を見てきたからではないかと最近考えています。


父は歩行者優先を守っていました。
狭い道では一旦停止するかかなり徐行して、歩行者が車が通過することに恐怖心を持たないように配慮しているのがよくわかりました。


自動車教習で運転してみて、初めて運転席から車の横や後ろの感覚を正確に把握することの大変さがわかりました。



歩行者優先を厳守した運転でありながら、歩行者にも厳しい父でした。
ある時、飛び出してきた子どもに、自分の子どもたちにも怒鳴ったことのない温厚な父が「ばかやろー」と怒鳴ったのです。
まぁ、ばかやろうは言葉としてまずかったとは思いますが、怒られた子どもの心には印象深く残るのではないかと思います。


子どもの時から、慎重に運転している父の目線が身についたのかもしれません。
ですから歩行者として歩いているときにも、その歩行者の自分を運転席から見ているような感覚が養われたのではないかと思うのです。



<父が運転をやめる決意をした>


今から十数年前、父から電話がかかってきました。
「そろそろ運転を止めようかと思うけれど、どうか」と。
75歳を過ぎた頃でした。


まだ安全運転の父なら大丈夫とは思ったのですが、ぼちぼち高齢者が起こす交通事故の話題も耳にするようになったので、本人が決断した時が一番よいのではないかと思い、「だんだんと体も追いつかなくなるから、今が止めるにはよいかもしれない。お母さんも運転できるしね」と答えたのでした。


父は、「そうか」とだけ答えて電話を切りました。


その頃はまだ心理的父と疎遠になっていた時期でしたし、これで父の交通事故を心配しなくて済む安心感の方が私には大きいものでした。


今まで娘に何か相談することなんてなかったのにどうしたのだろうぐらいにしか受け止めませんでした。


それから1,2年もしないうちに、父は認知症の症状が出始めました。


今、面会に行くと、「わしの運転はうまかっただろう」と時々誇ることがあります。


あ、もしかしたらあの時に「お父さんの運転ならまだ大丈夫だよ」と言って欲しかったのではないかと、なにか取り返しのつかないことをしてしまったのかもしれないと。


そして仕事で出世したり有名な禅寺で僧籍をとった栄華は忘れても、安全運転を続けたことが父の中では大事な部分であり続けていることに、生きている意味の深さを思うのです。





「記憶についてのあれこれ」まとめはこちら