トイレについてのあれこれ 2 <トイレに入るのにチップが必要>

トイレの話が続きます。
こういう時に「尾籠な話が続きますが」というのが日本語なのかもしれません。


尾籠な」には「不潔な」という意味があるのですが、看護ケアの中では排泄は「基本的欲求」の大事なひとつですし、日々、新生児をみていると幼児期にかけて排泄の自立を獲得していくことがいかにすごいことかと思うので、私自身はあまり「不潔な話」と感じることはありません。


それでも、排泄というのは羞恥心を伴うものです。
トイレに行く、トイレに入るのもあまり他人に関心を持たれたくはない行動です。


それが、まさか羞恥心を明るみにされるようなことが、しかも国際空港のトイレで起こるとは予想もしていませんでした。


30年前に東南アジアのある国に赴任することになり、その首都にある国際空港に到着したときのことです。
まずはトイレに、と探しました。
トイレの記号はすぐにわかりました。


ところがトイレの前に、名札をつけた空港スタッフが立っているのです。
手を出してチップを要求しているようです。
それ以前にアメリカに行った時に有料トイレを体験したことがあるので、チップだとわかりました。


ただ違うのは、そのスタッフが片手にトイレットペーパーを持っているのです。
お金と引き換えにくるくるっとトイレットペーパーをちぎって渡しています。
トイレ内に入ってわかりました。「国際空港」といっても備え付けのトイレットペーパーがないのでした。


わあ、これからは公共トイレに行くたびにチップを払い、トイレットペーパーを受け取るのか。
大変な国に来てしまったなあと驚きました。


その国では空港どころか ハイウエイ沿いの食堂などいたるところでトイレでチップを払い、トイレットペーパーを受け取らなければいけないことがわかりました。


そのうちにこの国のいろいろな状況が見えてくるようになって、トイレの入り口でトイレットペーパーを購入しなければいけないのは、チップで生活費を稼がなければならないこともありますが、別の理由も見えてきました。
こちらの記事に書いたように、上下水道施設が不十分でトイレットペパーをできるだけ流さないようにしていることが一因だったのではないかと思います。


外国から訪れた人が大量のトイレットペーパーを使い大量の水で流していたら、あの国際空港のトイレはしょっちゅう「故障中」になってしまうのかもしれません。


「適切な長さのペーパーで処理し、ゴミ箱に捨てろ」
それを啓蒙するためのスタッフだったのではないかと思います。


私もその国に慣れるにしたがって、トイレットペーパーの芯を抜いてつぶしたものを常時持ち歩くようになりました。
入り口で「ペーパーは持っている」と示せば、チップも要求されませんでした。
ちょっとがっかりされますが。



90年代に入ってその空港が新しくなった頃から、入り口に立つスタッフがいなくなり、トイレに「自由に」入れるようになりました。
トイレットペーパーも備え付けになって安心したのでした。


一時帰国で日本の公共トイレに入ると、誰にも「監視されずにトイレに入る」開放感と安心感を感じました。
ただ、当時はまだ日本でも公共トイレにはトイレットペーパーが備え付けられていないところがほとんどだったので、しばらくは日本でも芯を抜いたトイレットペーパーを持ち歩きました。


自由に、安心してトイレに入れるというのは、これまたさまざまな社会のシステムが整った上での幸せなのだと思うこのごろです。





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