気持ちの問題 5 <感情とデーターを切り分ける>

前回の「最大多数の最大幸福」の話の続きです。


そういえば、半年ぐらい前に書いた「達人は日々の練習も達人」の中で、「1レーンの中で最大限の人数が最大限の調整をできる」と書きました。
それが「最大多数の最大幸福」に近いニュアンスです。


粛々と続けられているあのアップの様子を見ていて、選手たちは感情よりも、泳ぎの速度という数字で表されるデーターのみに集中して同じコース内で練習している選手をみているからではないかと思うようになりました。


たとえれば、高速道路での運転のような感じです。
適切なスピードで走行し、渋滞を引き起こさないような車間距離で、車の流れを妨げないような。


では、達人レベルの競泳選手のような人たちでなければ、「周囲を見渡すことができる」「刻々と変化する状況に合わせる」ことは無理なのでしょうか?


<伝わる「気持ちの問題」>


自己流で泳ぎ始めてかれこれ20年以上がたちました。
最初の頃は25mをクロールで泳ぐだけで必死で、周りにどんな人が泳いでいるかも見えていなかったように思います。


そのうちに、遅かった私の横を追い越して行く人が目に入るようになりました。
「すごいなあ」「あんなに速く泳いでみたい」と思うとともに、やはりその速度で追い越されていときには少し怖さを感じました。
ですから、「プールの中の境界線」に書いたように、上級者が配慮しながら泳いでいることも見えずに「あおられて怖かった」「危険な泳ぎをしないで欲しい」と感じてしまう気持ちも理解できます。


少し泳げるようになると、「あいつよりは速く泳いでみよう」と他の人にいどんでみたくなる気持ちが出ます。あ、「あいつ」ではなく「あの人」ですが。
でもそういう気持ち(雑念)が出れば出るほど、手足の動きがバラバラになって心拍数も上がって、結局は疲れきってしまうだけでした。


速く泳げる人を見ると、「きっと速いことを誇っているのだろうな」「追い越すことで優越感を感じるのだろうな」と勝手に相手に対してイメージを作っていました。


そんな時期から20年以上たって、競泳選手には足元にも及ばないのですが、通っているプールでは「速い人」の部類に入るようになりました。(自慢っぽいので読み流してください)
前に泳ぐ人と十メートルぐらいの距離があっても、コースエンドに行くまでには追いつくことができるぐらいです。


私は相手をあおらないようにそっと追いついているのですが、やはり初心者の方々には嫌そうな顔をされることもあります。きっとかつて私が感じていたような相手の「優越感」を私にイメージして気持ちが反応しているのかもしれません。
そこで先に行かせてくれればその人も後ろからあおられることなく泳げるし、私も少しスピードをだせるからと期待しても、「頑として譲りません」という感じの方もけっこういます。
いえ、もしかするとまだ周囲の人がどれくらいのスピードで泳いでいるか、必死なので見えていないのかもしれませんね。


ただ、けっこうそういう「気持ち」は、全身から伝わるものです。


では今私は何を考えて泳いでいるかというと、今コースの中にいる人はそれぞれどれくらいのスピートを出しどんな泳ぎの癖があるかを考えつつ、相手の泳ぎも邪魔せずに、自分も最大限の練習ができるペースです。


「あの人よりは速いから追い越してやろう」ではなく、「あの人はだいたい何秒で泳ぎ、クロールのあとは平泳ぎで戻ってくるパターンだから、これくらいの速度でコースエンドで追いついて戻る時に私が先に行かせてもらおう」という感じです。


あるいは、平泳ぎの人が何人か続くと追い越すのは大変というか面倒になるので、「一旦、先にその人たちを行かせて、しばらくしてからコースに戻れば少しスピードを出して背泳ぎをしても邪魔にならないし、自分も充実した泳ぎの1本ができる」といった感じです。


わかりにくいかもしれませんが、相手に対する感情、「遅いな」「泳ぎにくいな」「先に行かせてくれたらいいのに」といったものを忘れて、相手の泳ぎのパターンと速度というデーターに置き換えるようにしています。


追い越すことで優越感を感じる速い人も中にはいると思いますが、少し私がその「速く泳ぐ人」に近づいたことで、感情とデーターを切り替えて、たんたんと速度と自分の泳ぎに集中して泳いでいる速い人が結構いることが見えてきました。
高速道路の運転のような感じでしょうか。


「譲り合い」のマナーとかルールとは違う、何とも言えないクールな動きがそのコース内で自然発生しているという感じです。



私にはそれが心地が良いペースに感じられるのですが、そういう状況に慣れた段階に到達した人にしかわかりにくいのかもしれませんね。


それと、私はあの競泳会場での達人たちのウオーミングアップを観ることで、プールで何人かが泳いでいる状況を客観的にとらえることができるようになったように思います。
その経験は大きいかもしれないと思うこのごろです。


ただ、なかなか人間社会はそんなに合理的にはいかないので、ぶつかり合うことなくクールに泳ぐ魚の集団ではなく、人間臭いペンギンの集団に近いのかもしれません。





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