気持ちの問題 6 <マナーやルールは「社会の気持ち」>

「プールの中の最大多数の最大幸福」「感情とデーターを切り分ける」は、「永田町駅エスカレーター」の記事のコメント欄の返信に書いたエスカレーターについて考えたことの起承転結の「結」として書いています。


「承」は「高低差を歩く」、「転」は「エスカレーターとリスクマネージメント」です。


そろそろエスカレーターの「歩行問題」について書こうと思っていたら、ちょうど7月21日から全国の鉄道各社などが「みんなで手すりにつかまろうキャンペーン」を始めるというニュースがありました。


リンク先のポスターを読むと、なんだか問題点が微妙にはずされていてもやもやする内容ですね。
「歩行禁止」や「2列で乗る」ことは書かれていなくて「立ち止まる」という表現ですし、全体には「手すりにつかまる」ことが強調されて、「歩行するな」という禁止をあえて避けた印象です。


そうですよね。「歩行禁止」としてしまえば、たとえば前の人と数段空いていても、詰めるための移動でさえ禁止ということにもなるわけで。



あの臍の緒は家族に切らせるなと同じく、リスクマネージメントの視点から社会に呼びかけるにはいろいろと苦労があるのだろうなと思います。


<事実はどうなのかという視点を欠くと>


公共の場所や交通機関でのルールやマナーを決めるというのはけっこう難しいものだと感じるのが、未だに優先席で電話の電源を切るように決められていることです。
携帯電話が医療機器やペースメーカーに影響するかもしれないということが言われたのは1990年代でしたが、2000年代に入るころにはその問題も一部は技術的に解決されて、医療機関内でも通話以外は病室内でも可能など制限が緩やかになりました。


なんで今も禁止なのだろうと思っている人は多いのではないかと思いますが、厳然とあのルールが残っています。
優先席で携帯を操作している人をみると、「ルールを守っていない」という無駄な非難の感情を呼び起こすだけですし、最近もそれで乗客同士のトラブルから傷害事件まで起きてしまったようです。


「現在の技術では問題が解決しましたから、電源offのルールは廃止します」
それだけで良いのにと思います。


エスカレーターのキャンペーンに欠けている事実>


エスカレーターは歩行を前提に作られたものではない」ので歩行が故障の原因になっているのであれば、具体的にどれだけの故障がありどういう事故の危険性が高くなるのか、年間の損失額はどれくらいなのか、そしてそれは技術的に改善が難しいのか、そのあたりを知りたいところです。


その事実を知るだけでも、「やはり危険だから歩くのは止めよう」という意識はたかまるのではないかと思います。


またエスカレーターの使用状況は、場所によっても全く違います。
「2列で止まって使用」を徹底しても大混雑にならない場所もあるでしょうし、私が通勤などで利用しているいくつかの駅のように階段もなく、2列で止まっていたら2〜3分ごとに到着する電車から降りた乗客がコンコースからあふれてもっと危険な状況になる場所もあると思います。


「急ぐ人は階段を」という意見もありますが、混雑した階段を急ぎ足や駆け足でいくことは、それはそれで歩いている人には衝突の危険があります。それでぶつかるほうが日常的に経験しています。
また、エスカレーターを歩いている人の速度と階段を駆け下りるあるいは駆け上る人をみていると、やはりエスカレーターを歩いた方が速いので、皆エスカレーターを歩くのではないかと思います。


おそらく、そのような駅を通勤・通学で利用している人たちが知りたいのは、「歩行禁止になったら混雑はどれくらいになるのか、それによって電車に乗りきれない可能性があるのではないか」という点だと思います。
その点で「大丈夫」となれば、歩行する人も減ることでしょう。
ところが現在のようにエスカレーターを歩行することで混雑がなんとか収拾されている状態の駅では、混雑緩和の代案が出ない限りは現実に歩行禁止は無理だと、鉄道会社もわかっているのかもしれません。


エスカレーターの速度をもう少し速くしたら、通勤・通学時の混雑緩和になるかもしれませんし、実際にその時間帯だけ速度を速くしている駅もあります。
ところが、普通の速度でもエスカレーターの一歩が怖くなる高齢の方などのために、速度別のエスカレーターかエレベーターの設置が必要になることでしょう。それはそれで、どれだけお金をかけられるかという別の問題も。


<「ルールを守らない人」という虚像の憎しみを生み出しやすい>


たぶん、通勤・通学であの混雑のなかエスカレーターを歩くことに慣れている人は、案外と周囲への危険も察知しながらうまく行動しているのではないかと感じています。


それが昨日書いたようにプールで速く泳げる人がうまく速度と混雑度を判断しながら泳いで、できるだけ多くの人が泳げるように配慮しているような感じです。
ところが、それに慣れていない人からみると危険を感じ、配慮をしながら泳いでいる速い人に対しても「あおっている」「優越感を感じている」といった感情での対立が起こりやすいように。


「みんなで手すりにつかまろうキャンペーン」(歩行禁止とはあえて書かない)は、具体的な危険性に対する現実的な対応をあえて書かないので、こうしたやり方はそれぞれの立場の人に感情的な反応をさせやすいのではないかと思います。


そして「ルールを守らない人」という虚像を生み出し、虚像の憎しみを社会に残す可能性もあるのではないでしょうか。



ルールやマナーの話題で難しいのは、社会の感情がルールやマナーを決めてしまうと、心の中でルールを守らない人や社会を思い描いて、その中で自分の正しさを認識したくなる点にあるのかもしれません。


エスカレーターの歩行問題はもう少し別のアプローチを考えないと、電源off問題と同じ失敗になるのではないかと心配です。





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