帝王切開について考える 23 <「手術による変化・喪失の支援」より>

何度か引用させていただいている「周手術期看護論 第3版」(ヌーベルヒロカワ、2015年)ですが、今の看護学生はここまで言語化された周手術期看護を学んでいることが本当にうらやましい限りです。


30年前、私たちが感覚的に感じていたことが言語化され、理論化されていく。
あの「速く美しく泳ぐ! 4泳法の教科書」に通じるものがあります。


その中でも「手術による変化・喪失の受容支援」(p.66〜68)は、帝王切開の術後看護に必要なものは何か、今の周産期看護では後回しにされている部分がわかるのではないかと思います。


<「こころのケア」より>


帝王切開術を受けたお母さんたちの気持ちについてはここ10年ほど、だいぶ注目されるようになりました。
たとえば、こちらの記事に書いたように、「お産トラウマ」というNHKの造語も、もとは「帝王切開と心の傷」というコーナーに寄せられたたくさんの気持ちがあったようです。


冒頭の「周手術期看護」の内容を紹介する前に、「助産師だからこそ知っておきたい術前・術後の管理とケアの実践 帝王切開のすべて」の「こころのケア」(p.189〜)を少しみてみようと思います。


「この項のポイント」として、以下の4点が書かれています。

帝王切開を受けた女性の心理は、手術適応や緊急度で大別することができる
●術後の母子を気遣う家族の気持ちや不安も配慮する
●女性の身体状態が落ち着いたらバースレビュー(お産の振り返り)を行い、帝王切開による出産体験の統合をサポートする
●特に緊急帝王切開では、出産体験が心的外傷(トラウマ)となり得ることに留意し、急性ストレス症状を観察しながら産褥期のケアを丁寧に行う


たしかにこの4点は必要な視点ではあると思うのですが、何か釈然としないものを感じていました。



それは何か。
おそらく「出産体験」に焦点を合わせすぎて、肝心の「女性の身体が落ち着くまで」の気持ちの変化が観察されていないからではないかと思います。


<リアリティショック・・・「コントロール能力の喪失」>


「周手術期看護論」では、「喪失」として「コントロール能力の喪失」が書かれています。

手術は、患者にさまざまな喪失体験をもたらす可能性を秘めた治療方法である。切除術や切断術を受ける患者は、病巣のみでなく大切な身体の一部を失うことになる。身体の形態の変化あるいは喪失は、正常に呼吸したり食べたり排泄したり、姿勢を保つまたは自分の身体を守るといった身体機能の変化や喪失につながる。さらにこれらは、人間の自立や役割、責任、将来の計画、夢といったことを奪いかねない。それらを患者は自分自身や出来事をコントロールする能力の喪失として体験するかもしれない。たとえ手術が、身体の一部を奪うものではなく、機能の回復を目指すものであったとしても、身体に加えられた傷跡が、患者から以前の傷のない身体のイメージを奪うかもしれない。

産婦人科病棟では、子宮や卵巣の摘出術もあります。それらの手術に比べれば、たしかに帝王切開は順調に回復していくイメージがあります。
ところが、術後しばらくはそれまで自立していた生活を大きく損ね、またイメージしていた育児のスタートも違ったものになります。


ただ、それは帝王切開だけでなく経膣分娩でもまた起こりうることは、「出産・育児のリアリティショック」で書きました。


そのあたり「出産体験」といった漠然としたものでなく、もう少し具体的な事実を整理していくことで、具体的な看護目標が見えて、帝王切開のお母さんたちへのケアの質はもっと良くなるのではないかと思います。



「出産・育児のリアリティショック」の記事はこちら。

1. 「出産・育児とリアリティショック」
2. 「マタニティサイクルと精神的な変動」
3. 「周産期のメンタルケア」
4. 「まさか・・・考えてもいなかった」
5. 「かわいそう」
6. 「五体満足ですか?」
7. 「だっこがこんなに難しいなんて」
8. 「授乳がこんなに難しいなんて」
9. 「体を動かせない」
10. 「自立した排泄から要介助」
11. 「医療処置はもうたくさんと思いたくなる」
12. 「崩れるボデイイメージ」