帝王切開のケアを考える 2 <母親の「自己効力感」の時代へ>

私自身が「ケア」とは何を指す言葉なのか、長いことそれを仕事としてきたのに表現できないでいます。
そのため「ケアとは何か」「産後ケアとは何か」のテーマで書きながら整理している途上です。


ですからこの「帝王切開のケアを考える」も、「これがよいケアです」という内容を提示するものではなく、むしろケアとは何か、看護・介護・保育のケアとは何かをまた考え続けるためのタイトルです。


さて、こんさんからいただいたいくつかのコメントで、帝王切開術後19時間のしかも早朝に、術後のお母さんを起こしてまで授乳をする方法の広がりの裏にある考え方が見えてきました。


たとえばこちらではこのように書かれています。

了承の取り方としては、入院計画書の説明を受けてサインをしました。【手術後、赤ちゃんはお預かりしますが、おっぱいの時には添い寝で授乳します】【手術から3日目(産後2日目)、体調に合わせて母子同室を始めます。】とありました。


また前回の記事で「産後の母親は短い時間でも休養がとれるようになっている」と言われた再発防止策の話し合いの場でこんさん御家族が施設側から提示された内容は以下のようです。

1. 母子同床を禁止し、赤ちゃんはコットで寝せるよう指導する。2. 帝王切開手術直後の授乳は、母子だけで添い乳と添い寝させるのをやめる。体を30度以上に起こして横抱きできるようになるまでは、授乳には助産師が付き添い、終わったら助産師があずかる。3.酸素モニターを、入院期間を通して全ての赤ちゃんに装着する。


3の「酸素モニター」はサチュレーションモニターではなく、無呼吸センサーマットの意味と思いますが、いずれにしても手術後からの母乳の授乳は今まで通りという意味のようです。


それにしてもなぜ、術後の寝返りもうてないような状況で、まずは母親の休息期間をつくってから赤ちゃんの世話へ、という方向には変えられないのでしょうか。


この根底には母乳育児成功のための10か条があることは確かだと思いますが、助産師向けの雑誌などを読むと、もうひとつ、「母親の自己効力感」や「満足感」といった言葉が「帝王切開のケア」に使われるようになったこともあるかもしれません。


<「自己効力感」の時代のケア>


最近では、予定帝王切開の妊婦さん向けの母親学級を開催している施設もあるようです。分娩件数が多く、予定帝王切開の方が多い施設であれば開催しやすいかもしれません。
助産師だからこそ知っておきたい術前・術後の管理とケアの実践 帝王切開のすべて」(ペリネイタルケア2013年増刊号、メデイカ出版)では、そうした施設の実践が書かれています。


術前から術後のお母さんの心身の変化、赤ちゃんとの生活のペースなどの見通しが立つことは、イメージしている不安を整理し、現実的な問題を認識して解決方法を準備できる大事な機会だと思います。


もうひとつ、「助産雑誌」の「帝王切開のお産をケアしよう」(2014年2月号、医学書院)という特集号でも、「『帝王切開出産の母親学級』の取り組み 満足できる帝王切開出産を目指して」という別の施設の実践が紹介されています。


前者の記事にも「帝王切開を出産として肯定的に捉える」という表現がありますし、後者の記事では「妊婦の気持ちに耳を傾け、自己肯定できるように」とあります。


どちらも一見、同じような表現なのですが、後者の記事の方が「気持ちの部分」について書かれた部分が多くありました。
たとえばこんなところです。

帝王切開出産の母親学級」において、ピアづくりにより自己効力感、自己肯定感を高めることに前向きな気持ちを獲得することが可能となりました。しかし、それでも「自分で産んだ感じがしない。出産を実感できない」という感想を述べる褥婦も少なくありません。腰椎麻酔下で触れられている感覚は残るものの、自分の力で児を産み出す経膣分娩とは違い、医療スタッフにすべてを委ねる帝王切開においては拭い去ることができない感情なのでしょうか。

妊娠・出産体験、また育児は女性にとって身体も心も著しく変化する時であり、この時に妊産褥婦が自らを自己肯定することは女性が人間的にも成長できるチャンスの時だと思います。また、その妊産褥婦を私たちが「ありのままのあなたでよい」と受け入れることが助産師の重要な役割だと考えます。

下敷領は「1人の女性が自己実現に向かって達成感や満足感のあるその人らしいお産に取り組めるように寄り添う存在でありたい」と述べているように、私たちも1人ひとりの女性と向かいあい、その人が踏み出す大切な一歩に寄り添う助産師でありたい。


帝王切開を「自分で産んだ気がしない」と感じた人がいたことも事実なのでしょうし、このような対応が有効だった人がいて、この筆者の考える帝王切開のケアが表現されたのでしょうか。


それは、「自己肯定感」や「自己実現」を大事にする時代に必要な対応ともいえるのかもしれません。


ただ最後の「寄り添う助産師でありたい」で締めくくられている部分を読むと、「自分探し」に書いたように「一見、こども(他者)への関心があるようで、大きく弧を描いて自分への関心になっている」ように思えるのです。


社会全体が本当に、「自己実現」や「自己効力感」を求める方へと変化しているのかはわかりませんが、それを求める声が聞かれて「ケア」に影響を与えていることは確かなのではないかと思います。


「自己効力感」と「寄り添う」、この二つの感情が対になって、本質的なケアとは少し違う方向になっているような気がするのです。