散歩をする 545 かつては海だった痕跡を歩く計画

散歩の2日目の朝、前夜はホテルの窓から上越新幹線を見逃したので、時刻表で確認して目を皿のようにして窓から眺めました。燕三条駅に6時23分に入線する車両をしっかりとみることができました。

 

2日目は、2020年ごろから始めた「潟」を訪ねる散歩です。沿岸部にある佐潟(さかた)など、地図で見つけた「潟」を訪ねてみたいと思っていました。

「新潟はなぜ潟なのだろう」と思っているうちに、新潟平野というのは「かつては全部海だったとしても不思議はない」ことがわかってきました。

どの田んぼを歩くだけで「潟」を歩いていることになりそうです。

 

西側の弥彦山から角田山までのかつては潟の縁だったような場所を眺めていると、弥彦駅から北へ数キロのところに山を貫いて排水路らしいものがあることに気づきました。

大河津分水路だけでなく、こうした水路で潟の水を排水させているのでしょうか。

さらに別の用水路がサイフォンで交差しています。

この場所を見てみたい。

 

せっかくなら弥彦神社も参拝してみたい。まるで潟を見下ろすように建つ神社に、何かその歴史がつながるかもしれないといつか訪ねてみたいと思っていたのですが、そのあと別の理由が増えました。

雑踏警備の歴史の中に、日本で一番大きな被害は「昭和31年の元旦、新潟県弥彦神社で発生した群衆事故」で「死者124名」だと知りました。

現在は潟の端のように見えるこの地域の歴史、どんな感じだったのでしょう。

 

ただ、弥彦神社山を貫く排水路も佐潟も、今回は時間が足りそうにありません。

 

では、広大な水田地帯のどこを歩けば良いのか。地図を眺めているうちに、西川に沿って郷土資料館が二つある地域が目に入りました。

JR越後本線の岩室駅と次の巻駅のそばです。

水田地帯を通る越後本線の隣接した駅それぞれに郷土資料館があるなんて、どんな場所なのでしょう。

 

岩室駅で下車し、西川沿いに「新田」がつく地域を歩いて、途中郷土資料館にも立ち寄ってみよう。

佐潟までは無理そうだけれど、地図に水色で描かれている「仁箇堤」と「上堰潟公園」を訪ねてみよう。

 

かつては海だった潟が長細く広がっている地域ですが、西川にそって微高地が続いているようにも見えます。

いつ頃からの街でしょう。

どんな風景で、どんな暮らしがあるのでしょう。

 

郷土資料館と西川をたどっていくうちに2日目の計画ができました。

 

7時20分にチェックアウト。燕三条駅に入ると、昨日は目に入らなかったのですがなんと屋内に大きな鳥居がありました。

その先がJR弥彦線の乗り場へと続いているのですが、ICカードリーダーがあるだけで改札かどうか戸惑うつくりです。

連続乗車券だったのでこのまま素通りで大丈夫なのかなと心許なくなりながら、ちょっと不思議な世界へいきそうな感覚で弥彦線に乗りました。

 

乗る前にGPSをオンにしたのですが、なかなか現在位置が表示されず2分ぐらいしてようやく表示されるようになりました。上に新幹線駅があるような場所でも、GPSがつながりにくい場所があるようです。

 

列車がゆったりと流れる中ノ口川を渡ると、瓦屋根が美しく蛇行した道が見えます。燕駅の反対側には高校生がホームから溢れそうです。

 

西燕駅の手前から広大な水田地帯になりました。道路には消雪パイプが埋められていて茶色です。地図には「富永十兵衛新田」という地名です。いつ頃の新田でしょう。大河津分水のできた時代にはどんな変化があり、またこの地域もどぶね農業だった時代はそう遠くない昔なのでしょうか。

 

潟に引き込まれるような感じになっているうちに、7時58分吉田駅に到着しました。

弥彦へ向かう列車を見送り、ここで途中下車をします。

 

 

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