声を失った父を前に、私は自分の専門だと思っていたケアについて何も理解できていなかったと、足元から崩れ落ちるような感覚に陥りました。
もちろん、周産期と老年期という看護領域の違いはありますが、それでも目の前の父をみて、だいたいの看護計画は思いつきますし、身体的ケアはどうしたらよいかも思いつくことができます。
父に残されている表現方法が、苦しそうな表情と何か伝えたそうな口の動きだけになってから、私は父の体に触れることさえも、「それを父は望んでいるのか」という問いにぶつかるようになりました。
「父はそうして欲しいと思っているのか」
「そうしたいと思っている私自身の満足のためではないか」
その問いの間で揺れるというのでしょうか。
もちろん、日頃の仕事の中でも常に「本当に相手が必要としているケアなのか」を意識していたつもりなのですが。
30代の頃から父への思想的な対決から父に対して拒絶的な感情がありましたから、父が認知症になってから、握手をしたり、肩たたきをするようになった自分自身の変化に驚きました。
父も喜んでくれていたので、背中や麻痺した手足をさすったりしていました。
ところが、「喜ぶ」という表現方法を失ってからは、体に触れるとちょっと怒ったような表情になることがありました。
もしかしたらタイミングの問題で、別のことを表現したのかもしれません。
とにかく、目の前の父の気持ちがわからない。
いえ、きっと父が喜んでくれていた頃も、わかったつもりになっていただけで、父は我慢してくれていたこともあるのかもしれません。
声を失ってからのほうが、むしろ全身で、「今して欲しいことはそれではない」と気持ちのままを表現しているのかもしれない。
いえ、もっと違うことを表現しようとしていて、体に触れればやはり安心するのでは。
たとえ父の手足が冷たくて私の手で温めてあげたいと思っても、そうしてよいのかどうか二つの答えの中で悩むのです。
父と私の間には、入り込めない境がある。
いいかえれば個人の尊厳ということになるのでしょうか。
こちらの記事で紹介した「ケアの人権」の「(不適切な)ケアされることを強制されない権利」ですが、私自身はどれだけそれを意識してケアをしてきたのでしょうか。
相手のことをわかったつもりになっていたのだと、目の前の父から明確にされたのでした。
「ケアとは何か」まとめはこちら。