記録のあれこれ 87 スポーツを客観的に言語化する

YAHOO!JAPANニュースで、矢内由美子氏の「ブランク2年でいきなり優勝。競泳の古賀淳也はなぜ劇的に復帰できたのか」(2020年12月2日)という記事がありました。

2年4ヶ月ぶりのレースについて、なぜ成し遂げられたのかと知りたかったことを取材してくださっていました。

 

 12月3日から東京アクアティクスセンター(東京都江東区)で開催される第96回日本競泳選手権。東京五輪競泳会場のこけら落としとして注目される中、"台風の目"となる可能性を秘めているのが、男子100m背泳ぎに出る33歳のベテラン、古賀淳也(スウィンSS)だ。

 古賀は 2018年のドーピング違反で受けた2年間の資格停止処分を終え、今年8月の東京都特別大会でレースに復帰すると、50m背泳ぎでいきなり優勝を飾った。10月の日本短水路選手権でもこの種目を制した。

 2018年4月に国際水泳連盟から資格停止の通知を受けて以来、今年5月までの丸2年間、完全に水泳から離れた生活を送っていた。しかし、練習再開からわずか3ヶ月あまりで並み居るトップスイマーたちにそん色のない泳ぎを見せている古賀。ブランクに加え、年齢の壁をも打ち破れているのはなぜだろうか。

 

◼️綿密に組み立てた練習スケジュール

 

 以前の古賀は、週に10回の練習を行っていた。基本サイクルは月曜日から土曜日までの6日間に1日2回・2回・1回・2回・2回・1回。週に1日の休みを設けていた。

 古賀によれば、水泳で全国上位を目指す選手の場合、1日1回練習というのは小学生くらいまで、中学となると1日2回練習になっていくのが一般的だという。

 古賀の場合は国際水連の資格停止処分から解除された今月の時点で、2年間も水泳から遠ざかっていた身。すべてをゼロからあらためて作り始めなければならないと覚悟してのリスタートだった。

 そこで古賀はコーチと相談しながら、まずは月曜から金曜までの秋5回、毎日1回ずつのトレーニングから再スタートすることにした。つまり、1週間の練習回数は以前の半分だ。

 「月〜金の間に、ウエートトレーニングを含めた5回の練習を行い、土日は休み。1日1回練習でスケジュールを組んだのは久しぶりでしたが、これでどこまで追い込んでいけるかという練習をしました。少ない回数の練習で質をあげていくことや、レースのスピードで泳げるようになるように負荷を調整しながら練習を組み立てていました」(古賀)

 週5回という練習スケジュールは、10月の日本短水路選手権の直前まで継続。その頃には体の土台が徐々に整い、週5回の練習では足りなくなっていった。

 12月の日本選手権では予選と決勝の2レースを1日で泳ぐ上に、日本水連が定める「インターナショナル」の基準タイムを超える必要がある。海外派遣や、ナショナルトレーニングセンターおよび国立スポーツ科学センターの使用などで、そこに入るか入らないかで大きな違いが出てくるからだ。

 そこで古賀は練習の負荷を一段アップ。ただし、一気に量を増やすことはせず、週にもう1回練習を加えるなど、限界を探りながらスケジュールを組み立てていった。

 

◼️一回の練習は短期集中型の1時間半

 

 古賀はスプリンターなので1回の練習は約1時間半。短い時間にしっかりと集中し、神経回路をフル回転させて泳ぐ。

 「僕らスプリンターは息を止めながらの全身運動を繰り返す追い込み方なので、あまり長くやると体と神経に負荷がかかりすぎます。レースでは速い動きの中でテクニックを駆使することを求められるのに、練習でそれをできないと、レースでもできません」

 スプリンターはより速くより強くという体の使い方をする。しかも背泳ぎの場合は水中を進む距離が他の種目より長いため、無酸素の時間が長くその分、負荷も大きい。

「背泳ぎはバサロでスタートし、ターンの後もバサロ。ターン前も含めると淡水路なら100m中、60mから70mくらいは無酸素運動になります。70mくらいが息を止めての全力運動なので、非常に負荷が高いのです」

 古賀はウォーミングアップを30分間行い、1時間でセットを終えているという。

 

◼️『良い意味で恐れ知らずになっている』

 

 8月の東京都特別大会。古賀の泳ぎは選手仲間を驚かせた。一緒に泳いだ選手たちが「速いじゃん!」と感嘆していたそうだ。

 とりわけサプライズだったのは、入りの速さである。古賀は全盛期とほぼ同じくらいである50m25秒で前半を泳いでいた。さらには年齢だ。2年のブランクがあったということもサプライズの理由だが、33歳という年齢が選手仲間たちの驚きをさらに強めていた。

 アスリートは年齢とともに回復力が遅れていくが、筋力は30代になっても上あがっていくといわれている。加えて、古賀は「2年のブランクがあったことで、良い意味で恐れ知らずになっている」と笑う。それが入りの速さに繋がっているというのだ。

「8月は25秒、そして10月の大会は24秒台で前半を入りました。2年のブランクがあって復帰して間もない33歳のおじさんが、いきなり国内でも2人くらいしか出せないタイムで前半の50mを泳いだので"来たか!”という気持ちも周りの選手にはあったと思います」

 

 

◼️『1日2レース』という課題もクリア

 

 サプライズは前半のスピードだけではない。1レース限定ならそこに合わせたからなんとかなったという見方をされるのも仕方ないだろう。

 しかし、日本選手権では1日に予選と決勝を泳ぐ必要がある。五輪や世界選手権などのビッグイベントになれば予選と決勝の間に準決勝が入り、1種目につき2日間で3レースを行わなければならない。心身の持久力、回復力、スタミナ配分や繰り返す力など、総合力が要求されるのだ。

 8月の大会だけでは評価を下せないという向きもある中で、古賀は10月の日本短水路選手権ではっきりと答えをみせた。初日の50m背泳ぎでは予選より決勝でタイムが落ちるという課題を残しながらも優勝。2日間の100m背泳ぎではその反省を生かし、決勝でしっかりタイムを上げて2位になった。

 古賀は8月と10月の2大会を総括してこのように語っている。

「8月は日本選手権の参加標準(56秒04)を切ること、10月は100m51秒50という自分で立てたタイム目標を予選でクリアして、決勝もタイムを上げて、2本しっかり泳げました。復帰レースの前は、僕がいくら練習しているといっても、それが結果につながるとは限らないと思っている人がほとんどだったと思います。周りから見えれば(第一線復帰は)実現不可能なことでした。

 今は設定した目標を上手にクリアできています。周りが驚いてくれたということは、人に伝わるレースができたということでもあり、それも収穫でした」

 2年の"休養"が体に与えた好影響もあった。以前痛めていた左肩が泳いでいない間に自然と治っていたのだ。

「2年前までは左肩が炎症を起こしていて、JISSの治療院でみてもらっていました。そうしたら(ドーピング違反に)巻き込まれていって、その間、肩を使うことがなくなったので治せたのです」

 日本選手権で古賀が出る男子100m背泳ぎは4日に行われる。

「日本選手権では、インターナショナルのタイム(53秒94)を切ることを目標としています。自分の感触としては、53秒70から80のタイムは出る練習を積むことができていますし、よければ53秒50くらいまで出ると思っています」

 まっすぐな目で意気込みを語る古賀がいる。

 

 

理不尽な状況から立ち直っただけでもすごいことなのですが、冷静に自分の体調や泳ぎ方を捉え計画的に復帰していかれたことがよくわかります。

12月4日に行われた100m背泳ぎ決勝は55.03秒で7位だったようですが、この記事を読むことで、決勝まで進んだことの意味が全く違う重みに見えてきます。

 

がむしゃらに頑張る時代が終わり、アスリート自身が客観的にスポーツを言語化していく時代になったことを感じる記事でした。

 

そして感動の物語にしてしまわずに、選手の語ることをそのまま伝えてくださる方も増えてきたのかもしれませんね。

 

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