今年になって、あちこちの川沿いを歩くようになりました。
地図を見て、川が蛇行したり、合流したり分岐している箇所を眺めては、「その場所をこの目で見てみたい」と思うと、いても立ってもいられなくなって散歩に出かけています。
目的地に行くまでは、大まかな行き方の確認ぐらいです。
実際に見ると、あれはどうしてだろうと疑問や関心が出て、帰宅してからあれこれと考えたり調べると、また知らなかった世界が開けてくる楽しさがあります。
ああ、どうして中学生や高校生の頃にこういうことに関心を持たなかったのだろうと、ちょっと人生を無駄にしたようで悔やんでいます。
先日、新川を歩いた時に見ることができた、新中川と旧江戸川の合流点も、ずっと地図で気になっていた場所でした。
大きな川が合流する地点ですから、結構な水流があるのだろうと想像していたのですが、水面はとても静かに二つの川が交じり合い、釣り船や屋形船の船着き場になっていました。
葛西臨海公園で海をぼっと眺めていると、夕方になると東側から隅田川方面へ向かって、何艘もの屋形船が通過していきます。
ここが、その船着き場だったのだとわかりました。
<旧江戸川を歩く>
江戸川は知っていても、旧江戸川という名称とその歴史は知りませんでした。
江戸時代から長い歴史があり、1919年に江戸川放水路側が本流になったこと、1943年には洪水対策として江戸川水門が建設されて1965年に旧江戸川と呼ばれるようになったとのことですが、その流域の変遷を想像するだけでも壮大なドラマが浮かんできそうです。
現在では、東京と千葉の都県境になっていることもあり、是非歩いてみたいと、新川を歩いた数日後に出かけました。
残念ながら当日は小雨の予報が、だんだんと本降りに。
それでも堤防を歩いていると、ジョギングをする人や犬の散歩をする人と時々すれ違いました。
千葉県側を歩きもう少しで江戸川水門というあたりで、雨に濡れる冷たさに心が折れて、本八幡行きのバスに乗りました。
距離にすると5km弱のようです。
途中には、ところどころ歴史が書かれた立て札があり、そのひとつの「行徳河岸(祭礼河岸)旧跡」にはこんな説明が書かれていました。
貨物専用の河岸。
最初の祭礼河岸は寛永八年頃(一六五一)までに光林寺の南、稲荷神社の西にあたる押切十三番、十四番付近に設置されたと推定されます。元禄三年(一六九〇)この付近に移設されました。
銚子などからの魚、スイカ、ウリ、前裁、大根、薪、塩、米その他の産物が馬で運ばれてきて積み出されました。
昭和の初め(一九二六〜)頃でも荷足船が二十〜三十艘ほどが入れる広さで、葛西船により下肥が運ばれてきて小型の肥やし舟に移して内匠掘に入り水田へ運ばれました。
「前裁(せんざい)」というのは、青物や野菜のことのようです。
現在は、両岸ともに静かな住宅地ですが、江戸への物流が活発に行われていた川だったのですね。
散歩に行く前に地図で見つけた「千葉県立現代産業科学館」に、立寄ってみました。
ちょうど「ちばの発酵」という企画展を開催中で、しょう油や味噌などについての展示がありました。
野田などのしょう油や行徳の塩が運ばれる、塩の道が少しずつ立体的に理解できました。
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