散歩をする 142 水郷田名

相模川周辺を歩いていたら、2013年の競泳ジャパンオープンの会場に行くのに「水郷田名行き」のバスに乗ったことを思い出しました。

と聞くだけで引き寄せられていく私ですから、当時も「水郷」を見てみたいと思ったのですが、そのままになっていました。

 

ということで、また相模川周辺に出没!です。

 

地図でバス路線を確認していたら、水郷田名の近くに相模原市立ふれあい科学館と相模原田名民家資料館があり、川沿いには相模原市立史跡田名向原遺跡旧石器時代学習館もあります。これは充実した散歩になりそうです。

 

相模原駅から水郷田名*

2013年にグリーンプールに行った時は、相模原駅からプールがある横山公園までは平坦だと感じていましたが、地形に目が向くようになった今回は、公園の少し手前の横山団地あたりから緩やかな下り坂になっていることがわかりました。そして公園のあたりで一回急な下り坂になり、しばらくして鳩川住宅前あたりからまた一段下がって田名工業団地へと入り、その後、田名バスターミナルから急な下り坂になって一段下がったところに水郷田名がありました。

 

これがWikiepdiaの田名の「地理」に書かれていることだと、実際に通ってみて理解できました。

相模川左岸に大きく分けて3段の河岸段丘からなる相模原台地のうち「中段」(田名原面)と「下段」(陽原(みなはら)面) にまたがり、これに相模川の現河床に沿った氾濫原を加えた3段の平坦面からなる。

(中略)

久所(ぐぞ、水郷田名)から下流で氾濫原を形成するがその幅は狭く、最も広いところでも現に水の流れている川岸から段丘崖まで700mに満たない。

 

勝手にイメージしていた美しい水田が広がる風景とは違い、かつては崖下に広がった氾濫原で、その後水田になり、そして現在は住宅地が広がる地域のようです。

 

*ふれあい科学館と大堀*

 

バスが急な坂道を降りると、すぐにふれあい科学館の停留所がありました。

事前に地図を見た限りでは水田が広がる場所に科学館がポツンとあるように想像したのですが、実際には、崖下と言えそうな坂のすぐ下の谷戸に科学館がありました。

そして周囲はほとんど住宅街です。

 

相模川流域の生息する淡水魚などの説明が充実していて、見応えがありました。

それにしてもこんなに淡水魚がいて、きちんと観察され、分類されているのがすごいですね。私には、まだまだ見分けがつかないのですけれど。

 

ふれあい科学館のすぐそばに用水路があり、小さな公園がありました。

「相模原幹線用水路(大堀)」とあって、こんな説明がありました。

相模原の米づくりは、相模川ぞいの大島、田名、当麻、磯部新戸の水田が中心です。昔の人々は、「一粒でも多くのお米を作りたい」との願いから江戸時代より相模川沿いの土地を大規模に開墾し、堤防を築き、開田して水を引き、お米を作ってきました。

しかし、大雨のたびに増水し堤防が決壊したり、川の流れが変わってしまうため「お米作りのための水」を確保するのは大変難しいことでした。

この用水路は、相模川の河床の低下などにより水田への取水が困難となったため堰の統合と合わせて昭和22年から昭和31年にかけて作られ、清水(きよみず)下首頭工を取水口とし、久所(区ぞ)、望地(もうち)、当麻(たいま)までの水田を潤しています。この用水路の完成によって農家の皆さんが安心してお米づくりができるようになりました。

Wikipediaの「田名」の「歴史」に書かれている、1858年の烏山用水と1860年久兵衛堤防あたりのことでしょうか。

 

*水郷田名から北里大学病院、相模大野へ*

 

地図でみると、ふれあい科学館と民家資料館は直線距離で500mほどなのですが、実際はそこは見上げるような崖の坂道で、歩道が一部無いような道を登らなければならない場所でした。

とても民家資料館と遺跡までは回れないので、バスで田名バスターミナルに戻り、そこから北里大学病院までバスで行くことにしました。

 

バスでこの3段の河岸段丘を少しずつ降りたり登ったりしながら、あの道保川公園の先にある県立公園、そして大きな貯水池の間を登ると、相模原台地の上に北里大学病院があることがわかりました。

 

そこから相模大野駅までバスで行き、帰路につきました。

 

幻の水郷だったけれど、相模川相模原台地の歴史がまた少し理解できて充実した散歩になりました。

 

 

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