水のあれこれ 386 讃岐富士の映る鎌田池

新居浜駅から特急いしづち号高松行きに乗り、燧(ひうち)灘ともお別れです。小さな川がまた美しく、その先の海岸近くに田んぼも見えてまた歩きたい場所ができてしまいました。困りましたね。

 

およそ1時間10分で坂出(さかいで)駅に到着しました。

昨年4月初旬に阿波から讃岐へ川とため池を見に出かける途中、車窓から見えた屋根が揃って美しい街並みと石積みの堤防が印象に残った坂出です。

今回は、その風景とは反対側のため池を訪ねてみたいと途中下車しました。

 

駅から南へ1キロちょっとのところにある鎌田池と、そばにある池ノ宮神社を地図で見つけました。現在は駅周辺の市街地で水田は池の周囲に少し残っているくらいのようですが、農業用のため池とその水の神様に違いありません。

まっすぐな道の周囲には学校が集中している場所で、その名も学園通りを真っ直ぐに南へと緩やかな登り道です。20分ぐらいで着くかと思いましたが、暑さもありのんびり歩いたら30分かかりました。

 

 

*鎌田池と讃岐富士*

 

国道11号線の高架橋の向こうがため池の天堤のようです。そのあたりからぐんとのぼり坂になっています。

途中、水路に勢いよく水が流れているのが見えました。

 

どんなため池の風景でしょう。ちょっとどきどきしながら近づいてみました。

ど〜んと正面に讃岐富士が見えました。地図では池から南に直線距離で2kmぐらいのところに描かれています。あの丸亀のあちこちのため池のようにもしかしたらと期待していたのですが、美しい風景を見ることができました。

 

しばらくため池の湖面と讃岐富士を独り占めしたあと、坂出駅に戻りました。

池ノ宮神社を訪ねると列車に間に合わないのであきらめ、学園通りを戻り、途中わき道にはいると田んぼや水路が少し残っていました。

一面、水田だった時代はいつ頃まであったのでしょう。

 

*鎌田(かまだ)池の歴史*

 

一つ一つのため池の歴史がまとめられている香川県ですから、鎌田池もすぐにわかりました。

「かまた」ではなく「かまだ」でした。

 

鎌田(かまだ)池

 鎌田池(下池)はJR坂出駅から南へ約1キロの位置にあり、国道11号線に沿った桜並木の堤防からは、水面や南側の渚部に坂出中学校を望むことができます。

 下池は寛永4年(1627年)に西嶋八兵衛により築かれたと文献に記されていますが、上池についてはそれ以前に築造されたようです。

 下池は文政12年(1829年)久米栄左衛門による掛井手(導水路)の整備や、明治27年(1894年)の増築、昭和29年(1954年)からの4年間の改修工事等で現在の形になりました。

 受益地は一時200haに達していましたが、塩田開発や臨海工業団地整備に伴う宅地転用や昭和50年(1975年)ごろからの市街地化の進行により、現在受益地は15haに減少しています。

 鎌田池はかんがい用水、洪水調節として利用されると伴に、周囲に桜並木の遊歩道が整備され、市民の憩いや散策の場として親しまれています。

 一方、上池は坂出市の飲料水不足を解消するため、昭和初期から府中ダムが完成する昭和51年(1976年)まで上水道水源地として利用されましたが、今は役目を終え「かわつ花菖蒲園」として生まれ変わりました。毎年6月上旬の花菖蒲祭りや茶会の時期に合わせ、約7万本の花菖蒲が咲き誇る庭園が一般公開され、近隣の市民が多く訪れ、色鮮やかな親水空間を楽しんでいます。

 

 諸元(下池)

貯水量   453.3千㎥

満水面積  11.9ha

受益面積  15.0ha

堤 高    6.6m

堤 長   710m

香川県公式ホームページ)

 

 

鎌田池は17世紀初め、その上池はさらにそれ以前には築造されていて、雨の少ないこの地域の水田の用水や飲料水をになってきたようです。

その上池が1976年に上水道水源としての役目を終えたのはもしかするとと検索したら、現在はやはり坂出市の水道水源は吉野川からの香川用水のようです。

明治時代に「山を越えて水を通す」という大久保甚之丞氏の発想が実現したからこその現在の姿ですね。

 

瀬戸大橋を渡ると坂出のコンビナートを見ながら四国へと入りますが、この地域の水の歴史を垣間見ることができました。

 

 

 

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