散歩をする 106 本郷台地を歩く

1月に入って晴天だけれどちょっと寒い日、そうだひとり立ちしたシャンシャンに会いに行こうと思い立ちました。待ち時間をチェックすると「約20分」です。さすがに、風が冷たい日には並ぶ人が少ないようです。

あんなに転げ回っていたのに、どっしりと座ってすっかり大人の風貌になっていました。

 

時々ふらりと上野動物園に来ては、さまざまなことを見ているはずなのに見ていないことや知っているつもりになっていたことにひやりとしながら帰ります。

 

そして少し時間に余裕がある日は、上野台地周辺をコースを変えながら散歩しています。

上野動物園は上野台地の傾斜地をうまく利用して、東園と西園が作られていることが歩くたびに見えてきます。その周辺の地域もまた凹凸があって、ここに川があったのだろうとか、それでこの辺りに集落や寺社ができたのだろうと想像しながらの散歩です。

 

30年ほど前に、一時期この近辺に住んでいた頃は、「関東平野の平地」にしか見えていなかったのでした。

「なぜそこに不忍池があるのか」も、今なら地形から読み取れるのですが、平面の地図から立体的にその地域を思い描けるようになるには、時間が必要そうです。

 

加賀藩屋敷跡*

 

加賀藩屋敷跡というのは、現在の東京大学のあたりです。地図を見ると、不忍池の真向かいにある旧岩崎庭園のあたりから、東京大学の敷地が切り取られたかのように何度も直角になっている場所があります。

そこがずっと気になっていたのでした。

たしか30年ほど前に、その近くに文京区立のプールがあって泳ぎに行っていたのですが、当時は何も疑問に思っていませんでした。

「地形のヒミツが見えてくる 体感!東京凹凸地図」を見ると、微妙に、東大の敷地とそれに接する道路の色が違います。

不忍通りから見ても、東大のあたりは台地の上にあることは感じられるのですが、この旧岩崎庭園横の道はかなり勾配がありました。そして東大の敷地の角を曲がるごとに高度が上がって行きます。

ああ、こうなっていたのかと満足しました。

 

*本郷台地の凹凸を歩く*

 

その日の目的地は、もうひとつありました。どこを歩こうかと地図を眺めていたときに、本郷三丁目の交差点の近くから言問通りへと北西方向へ斜めに菊坂という道があるのですが、途中から細い路地が並行して行き止まりになっている不思議な場所がありました。道と道との間は家一軒分ぐらいの幅です。

どんな地形になっているのだろうと気になったのでした。

 

菊坂を歩き始めると、地図からは想像していなかった急な坂道があり、両側は崖のように挟まれた場所でした。もう一本の細い道が行き止まりになっているのも、こういう地形だったからのようです。

途中から息を切らせながら春日通りへ向かう坂を登り、文京ふるさと歴史館に立ち寄りました。出版物が充実していて、「小石川と本郷の米物語」を購入しました。

その本によると、「関口・大塚・赤羽・千石・白山・本駒込など、北の方、特に小石川に集中」して田んぼがあったそうで、「大正10年代に文京区域から田んぼが姿を消した」とあります。現代の水田とは異なり、昔の米作りは丘陵地や麓の遊水池や湿地帯の方が多かったというあたりでしょうか。

 

ここからは行き当たりばったりで、春日通りを白山通りとの交差点方面へ歩きました。

ここが坂道であることは知っていたのですが、交差点の手前にびっくりする場所がありました。

そこは住宅地が春日通りより数mほど高い位置にあって、春日通りへは階段の昇り降りが必要なのでした。ここが本郷台地のへりであることがわかりました。

 

地図に「清和公園」があったのでその方向に向かって歩くと、金田一京助・春彦旧居跡があり、そのあたりからまた一気に下り坂になりました。

その坂道の一本向こうに目指す公園があるはずなので適当に道を入ってみたのですが、その公園は崖の傾斜を利用したものでした。白山通りに並行して本郷台地のへりの部分のようです。

 

地図を見て気になる道路から、本郷台地の複雑な地形について思わぬ世界が開けた散歩でした。

 

 

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