武蔵浦和駅から武蔵野線に乗り、荒川を渡る時に彩湖の上流部につくられた流入堤の付近を通過しました。それより上流部にも地図で見ると公園やゴルフ場が河畔に広がっているようです。
車窓から見えるそのあたりが浸水する様子を想像して、ちょっと鳥肌がたちました。
*朝霞の台地*
荒川を渡って北朝霞駅の手前に、氷川神社が見えます。荒川河川敷から緩やかに高くなっているように見えました。
北朝霞駅で降りて、まずはその氷川神社を訪ねようと計画していたのですが、これから予定ではあと5か所ほどありますから、先を急ぐことにしました。
北朝霞駅から南の方に向かって歩き始めると、駅から数分ぐらいのところから急な下り坂になりました。
黒目川の河岸段丘です。住宅地のなかに農家と畑が残っていました。
黒目川を渡って、今度は上り坂です。台地の上に氷川稲荷神社がありました。
かつては当社を「じるいね様」と呼ぶ古老がしばしばあったように、明治四十一年八月八日までは当社は地類神社と称していた。『風土記稿』溝沼村の項には、その沿革について「地類権現社 除地五畝、村の東にあり、社は一間に一間半、南に向かふ、祭神詳(つまびらか)ならず、寛文の頃(1661〜1673)村民畑を耕すとて、地類権現と彫づけし石を得たり、時の地頭中山勘三郎、此由を聞て社を立てんと思けるに、此地を古より稲荷山と号せしかば、社地のあとならんとて、社地と定め、この権現を勧請せりと云伝ふ、村内泉蔵寺の持」と記して降り、創建の経緯を伺うことができる。一方『郡村誌』では、社名は地類神社、祭神は稲田姫命となっていることから、当社は豊かな実りをもたらす地霊を祀った社として信仰されていていたものと推測される。
住宅街にところどころ畑が残る風景を歩いていくと、急な上り坂がありました。
台地の一番上かと思っていたら、まだ高い場所がありました。その坂道を、ガス会社の方が大きなガスボンベを担いで交換にまわっていました。家の入り口まではさらに数段の階段がありますから、いやはやガスの供給も大変そうです。
地図では、この先にはたしか東武東上線が通っていたはずなので、トンネルの上を歩いているのかと思ったら、なんと小高い場所を切り開いて線路が通っていました。
陸橋で線路を越え、城山通りに出て、今度は少し緩やかな下り坂です。そこから次に目指す氷川神社への道は城山通りよりも一段低い場所にありました。
そして住宅が密集しているのですが、よく見ると片側は山を削ったような断崖の上に家が立っています。家の感じから70年代80年代ごろの住宅街でしょうか。
地図では簡単に辿り着けそうでしたが、実際に歩いて見ると迷路のようで、道を間違えてしまいました。
「朝霞市岡」にある氷川神社ですが、由来がわかるものは見つけられませんでした。
次の氷川神社までは途中バスを利用した方が良さそうなので、バス停に向かいましたが、結構な下り坂を降りたところにありました。
これが、Wikipediaの朝霞市の「地理」に書かれている、「地形は大きく荒川低地と武蔵野台地に分けられる。その高低差は約40mである」の意味であることが実感できる場所でした。
*低地から再び台地へ*
次に向かうのはこの荒川低地にある氷川神社です。途中に、「田島公園」があります。
荒川左岸にも田島公園がありましたが、その関係はどうなのでしょうか。
バス停で降りて、荒川の堤防に向かって歩き始めました。畑が広がり、工場が多くなりました。
荒川の堤防がぐんと近づいたあたりに、住宅が集まった場所があり、そこに朝霞市下内間木の氷川神社がありました。やはり由来はわかりませんでした。
内間木通りを歩くとじきに左手に朝霞水門が見え、新河岸川と黒目川が合流してまた荒川沿いに流れる複雑な場所を渡りました。
この朝霞水門の対岸に彩湖があります。
地図でみると、この辺りには少し上流の武蔵野線のあたりまで、沼のような水色の部分が散在しています。
このあたりの水との闘いの歴史はどうだったのでしょうか。
しばらく歩くと左手に「荒川右岸下水道事務所」があり、和光市に入りました。
このあたりで日が落ち始めてきたので、あと1か所だけ訪ねることにしました。
新河岸川の支流の川の両岸が、小高い場所になっています。和光市というのは平らなイメージがあったのですが、意外な地形でした。
目の前にその小高い場所が近づいてきました。どうやら、この上に新倉氷川神社があるようです。
さすがに歩き疲れて、下を向いてなんとか坂道を登ったところにありました。ここも由来はわかりませんでした。
そばを東京外環道が通っていて、荒川に向かって下り坂になっていました。夕闇迫る中、赤いテールランプが連なる様子がはっきりと見えて、ここが高台であることを実感しました。
彩湖と、この荒川右岸側の武蔵野台地の端っこの地形との関係が、少し見えてきた散歩でした。
それにしても、どんな思いでそれぞれの氷川神社を建てたのでしょうか。
歴史を知るというのは一筋縄にはいかないものですね。
「水の神様を訪ねる」まとめはこちら。