東北というと気候も厳しく、生活するのに大変そうというイメージがありました。
半世紀ほど前、私が小学生の頃のイメージは、東北というと出稼ぎ、貧困といったニュアンスで伝えられることが多かったことが一因かもしれません。
実際に出稼ぎはありましたし、その後もニュースなどで伝えられるのは過疎化とか豪雪地帯の大変さとかが多く、「こんなに風景が良い場所がありますよ」「こんなに落ち着いた暮らしです」という情報を目にすることが少なかったのでした。
どうやって東北では生きていくのだろう。
ほんとうに失礼ながら、私のイメージはその程度でした。
今回、列車の車窓から見る景色や実際に歩いてみた街は、想像を超えるものでした。
鉄道が走る街の中心部だけでなく、沿線に見える家々もまた、しっかりとした造りの家が並んでいました。
新しい家も古い家も程よい感じで混ざり合って、何より街それぞれの統一感が感じられることも、「落ち着いた街」と感じる理由のひとつでした。
特に印象的だったのが、秋田市内から村上あたりまでの風景の変化でした。
秋田市内に近づくと、意外だったのが北欧を思わせるような鮮やかで明るい色の外壁の家が多かったことです。
それでいて、昔からの日本家屋と混ざり合っているのに不思議とうまく溶け込んでいるのは、もしかしたら窓枠が似ているところがあるかもしれません。
秋田市を離れると、トンネルを抜けるたびに海沿いに小さな集落がいくつも現れます。
そこは半世紀以上前にタイムスリップしたかのように、昔ながらの日本家屋なのですが、古いけれど古臭さを感じさせず、街全体が保存されているかのように存在していました。
通り過ぎていく集落はどこも一見同じように見えるのですが、よくよく見ると瓦の色あるいは建物のデザインが集落ごとで統一されていて、他の集落とも少しずつ違うようです。
そうした家並みが周囲の山や海や川、水田や畑、寺社などと調和している。
「落ち着いた街」という印象をあちこちで感じたのは、その風景が大きな理由かもしれません。
そして、東北に限らず両親が住んでいた地域もそうですし、昨年から見て回っている岡山や房総や南紀など、どこでも「地方」のほうが家も大きくりっぱで落ち着いた街並みです。
経済に疎い私は、みな、どうやって生計を立てているのだろうと不思議に思うのです。
そして半世紀前には、「地方は次男や三男は仕事がない」と出て行かざるを得なかった時代があり、じきに今度は過疎化を問題にされる時代になったけれど本当のところはどうなのだろう、と。
こうした時代の波に翻弄されながらもどっしりと存在し続けていることが、「落ち着いた街」という印象のもうひとつの理由でしょうか。
風雪に耐えた歴史を感じさせる、そんな言葉がイメージとして浮かびました。
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