行間を読む 78 落ち着いた街

いろいろなところを歩いてみると、ああなんと落ち着いた街だろうと感じる場所が増えました。

掛川城の周辺のように川と城を中心に静かで落ち着いた街もそうですし、治水との闘いだった街や、海岸や山沿いの風雪に耐えてきた街もそうです。

 

*街の「栄枯盛衰」*

 

散歩の記録にもしばしばこの「落ち着いた街」という表現を使っているのですが、書きながらも漠然としたままでした。

 

自分で使っておきながら、これ以上表現できないもどかしさを感じていたのですが、かつて牛がいた街で紹介した「『水』が教えてくれる東京の微地形」(内田宗治氏、2013年、実業之日本社)を読み直していたら、島崎藤村の言葉がありました。

藤村が「大東京繁盛記」(昭和3年刊)で狸穴、飯倉、六本木あたりについて書いた内容のようです。

 何より、島崎藤村はこのあたりに関し、大正十二年の関東大震災以降、古い屋敷町の風情が失われ始めたのを目の当たりにしながら、次のように書いている。

「町には町の性格があり、生長があり、また復活もあって、一軒一軒の力でそれをどうすることの出来ないようなところもあるかと思う。でも、嘗て栄えた町の跡と、まるで栄えたことのない町とでは、歩いて見た感じが違う。あたかも城として好かったところは、城址として見ても好いようなものだ。」  (「『水』が教えてくれる東京の微地形」、p.133)

 

狸穴(まみあな)は、こちらの記事に書いたように、現在はロシア大使館や外務省飯倉公館のある飯倉という「丘上の屋敷町」に対し、「崖下」の地で、狸穴坂があります。

 

現在はこの坂道にもぎっしりと住宅やマンションが立ち並んでいますが、明治末期までは「真昼間と雖(いえど)も森閑としていた」(「大東京繁盛記」)ようです。

おそらく藤村はそうした屋敷町の風情が失われ、この辺りが住宅地として開発されていく様子を嘆いたのだろうと思います。

 

それからおよそ一世紀。

このあたりを散歩して内田宗治氏が感じたことが、以下のように書かれていました。

麻布狸穴町界隈には、東京中どこにでもあるような光景も多い。だがかつて屋敷町として名を残した余韻のようなものを、坂道や崖、打ち捨てられたようにも見える空地、時折見かける木々に囲まれた屋敷や神社などで感じさせる。

 

私が感じる「落ち着いた町」に通じる何かを、感じた箇所でした。

「栄」「盛」の対語は、単純に「枯」「衰」でもないなというあたり。

 

 

「落ち着いた町」という印象は、なかなか言葉で表現できませんね。

 

 

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