落ち着いた街 3 お地蔵さんはいるけれど「お地蔵さん」がいない街

あちこちを散歩していると、小さなお地蔵さんとか道祖神とかがどの街でも大切にされているのをみます。

そして散歩の途中でふらりと立ち寄る小さな神社にも、だいたいいつでも老若男女、年代に関係なく頭を下げて参拝している人を見かけます。

大津市内でも駅の近くにお地蔵さんが祀られていて、そこで手を合わせる若いお母さんとお子さんを見かけました。

  

*「ドア地蔵」が出現した10年*

 

あ、今日は宗教の話ではなく、電車の話です。

いつ頃からか、電車のドア付近に立って乗り降りの際にも絶対に動かない人を、「お地蔵さん」「ドア地蔵」「狛犬」と呼ぶのを耳にするようになりました。

言い得て妙だけれど、お地蔵さんや狛犬には申し訳ない呼び方ですね。

 

ドアが開いたときに外へ一旦出てくれれば、物理的に乗り降りがスムーズになるのに、絶対にあの位置を死守しようとする人がいますね。

あるいは先頭で待っていて車内に入った途端、あの位置で止まって頑として動かなくなる人とか。

 

「何かに寄りかからずにいられない人が増えた」も、たぶん電車内で肘鉄を喰らうことが増えたり、アトランダムにホームに立って待つ、あるいは歩きながら操作するといったように、スマホが広がってきたここ10年で増えてきた現象という印象です。

 

階段付近の狭い場所で「立ち止まらない」と書かれていてもその壁に寄りかかってスマホをみるとか、列車内の手すりやドアにまでもたれ掛かってスマホを見ている人が増えました。

スマホが出てきた頃は、「電車内でスマホをすぐに取り出して見る人」が異様だと思われていたのに、10年ひとむかしですね。

 

 

 *「ドア地蔵」がいない地域もあった*

 

先日、琵琶湖をぐるりとまわった時にJR琵琶湖線やJR湖西線を利用しました。

ここでもドアに寄りかかって電車内を向いてスマホを操作する人はいるのですが、あの左右に仁王立ちになる「ドア地蔵」がいないことに気づきました。

大津ー山科間などは、ちょうど通勤・通学時間帯でかなり混雑していましたが、乗り降りがとてもスムーズでした。

 

列車の構造で、「お地蔵さん」の場所が確保できないようです。

 

一昨年、倉敷を訪ねた頃に、関西方面の列車が関東と違うことに驚きました。

ロングシート座席の列車も路線によってはあるのですが、二人がけの座席が進行方向に向かって並んでいる列車を多く見かけました。

ドア入り口はその座席の背中側に補助席がついていて、混雑時でなければ広げて座れるようになっているので、出入り口部分がとても広くなっています。

 

ですから「お地蔵さん」が寄りかかることもできない構造で、大きな荷物を持った人やベビーカー、あるいは車椅子や杖歩行で出入り口にいたほうが便利な人が自然と優先されて使えるようになっている印象です。

 

これだけで、あのドア付近の不要な緊張感や苛立ち感が減りました。

 

もしかすると、関東の列車のロングシートも端の一人分を減らしてスペースを作り、そして補助席をつけておくと「お地蔵さん」予防になるのではと妄想しました。

昭和から令和の野蛮な通勤風景も入り口の座席のデザインを関西風に変えたら、もう少し変化するかもしれませんね。

 

「お地蔵さん」がいなくなれば、もっとみんな穏やかな気持ちになれるなんてなんだかシュールですね。

 

 

 

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