あいだが空きましたが、七尾線で能登半島へ行った話の続きです。
邑智潟を過ぎて、能登部駅あたりからは緩やかな段々畑の風景が増えて来ました。両側を山に挟まれながらも地溝が続いている場所です。その山々も手入れされている様子がわかり、美しい竹藪や湿地、そして立派な墓地など落ち着いた街並みが続きます。
あっという間に七尾線の旅が終わり、七尾駅に到着しました。ここで穴水行きののと鉄道に乗り換えるためにいったん改札を出ました。
乗り継ぎに40分ほどあったので、歩いて数分ほどの海を目指しました。
駅前に流れている御成川は、煉瓦で護岸された小さな運河のようです。ゆったりした歩道を歩いていると、目の前に能登島の対岸が見えて来ました。真っ青な空と海、静かな海岸です。
道の駅とマリンパークによってみたかったのですが、時間が足りなくなりそうでしたから、駅に向かいました。一本違う路地に入ると石畳のような道路になり、小さなお店が続く商店街でした。
いつも、駆け足のように通り過ぎる一泊二日の遠出ですが、こういう街に数日ぐらい泊まって、あちこちをのんびり歩いてみたいものです。
*のと鉄道で穴水まで*
ここからはのと鉄道で穴水まで、約50分の能登半島の海岸線の列車の旅です。
七尾駅ののと線は改札らしい場所もなく、ホームに保育園の子どもたちがお散歩で入っていて、列車が出発するときには元気な声で見送ってくれたのでした。
七尾駅を出発すると、線路は山を切り崩したような場所を通過します。もしかすると、ここが地溝帯の端の方だったのでしょうか。
そこからは海岸線を走ります。自然堤防や防風林でさえぎられることもなく、ただただ海が見えます。
あらかじめ地図で見逃さないようにと思っていた場所が3箇所ありました。七尾駅を出て数分くらいで見える赤潟、和倉温泉駅のあと海沿いにある潟のような場所、そして笠師保駅の手前にも潟のような場所があります。潟をめぐる散歩ですからね。
どの場所も、小規模な干拓地のようで水田が広がっていました。とりわけ笠師保駅の手前には、小さな締め切り堤防のような設備も見えました。
この辺りの水田の歴史を知りたい、実際に歩いてみたいと思う風景でした。
しだいにあの黒い瓦のどっしりとした家々と、風景を妨げるものの全くない落ち着いた街並みになっていきました。
深い湾に囲まれた静かな海辺に漁村があり、水田や畑があり、紅葉の山々が繰り返し繰り返し続きます。
のと鉄道はどの駅舎も周囲の風景にあっていて、ホームの植え込みも丁寧に手入れされていました。
私は今どこにいるのだろうと困惑するぐらい、息をのむ風景が続きました。
終点の穴水駅では、いつのまにか乗客は2人になっていました。
*穴水を歩く*
ここがのと鉄道の終点ということもありましたが、地名に「水」がついている由来はなんだろうと気になったので、ここで少し歩く時間をとっていました。
この街には山王川が流れていて、駅よりも北側でその川が二手に分かれて中洲のようになった場所があります。ここを渡って、対岸にある穴水町歴史民族資料館を目指しました。
駅を出てすぐ、「伊能忠敬投宿の地」という案内図を発見。これはみてみなければと、そこを目指したつもりが道に迷い、見つけられませんでした。
静かに流れる川を渡り、しばらく歩くと山沿いにある大きな神社の隣に歴史民族資料館がありました。
残念ながら穴水の由来はわかりませんでしたが、目の前に広がる静かな静かな海と静かな街並みに、ここまで来てよかったと思ったのでした。
ここまでののと鉄道沿線の風景だけでも圧倒されたのですが、ここから先、まだまだ息をのむ風景が続きました。
能登半島の海岸をただただ見てまわる散歩が続きます。
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