ブログのタイトルに「水」を使っているように、なにかと水のことが気になっています。
子どもの頃に「水があるのは地球だけ」と習ったような気がするのですけれど、本当だったのか気になって検索したら、宇宙情報センターのサイトに「太陽系で唯一、水と生物が存在する惑星」 とありました。
まあ、「太陽系」ということで、宇宙の果てはどうなっているのかと考え出すとめまいがしそうになるのでやめておきます。
淀橋浄水場の記憶のあたりから、ダムや洪水対策について1990年代の頃を思い出しています。
「八ッ場ダム」の中で書いたように、当時「100年に一度の洪水に対応するためのダム建設は必要か」という批判がありました。
当時30代になったばかりの私にとっては100年というのはとても長い時間のように感じましたから、「100年に一度の洪水に対応するためのダム建設計画」というのは公共事業予算を増やすための口実だと信じ込みました。
1990年代初頭はまだ今のようにネットですぐに検索できる時代ではなかったので、図書館などで日本の過去の水害被害について得られる知識はとても限られていました。
記憶にある限り、そんなに大変な水害はなかったような気がしていました。
<「100年に一度」とは>
国土交通省国土技術政策総合研究所の「河川用語集〜川のことば〜」の「計画規模・確率年」に、100年に一度の意味が説明されていました。
洪水を防ぐための計画を作成するとき、被害を発生させずに安全に流すことのできる洪水の大きさ(対象目標となる洪水の規模)のことを計画規模といいます。一般的にその洪水が発生する確率(確率年)で表現します。
例えば、おおよそ10年に一度程度の確率で発生する洪水の規模を「1/10年」、100年に一度発生する洪水の確率を「1/100年」と表現します。当然、「1/10年規模の洪水」よりも「1/100年の規模の洪水」の方が大きな洪水になります。
大都市を流れる大きな川の計画規模は1/100〜1/200年とされているところが多いようです。言いかえるなら、「平均して100年〜200年に一度の割合で発生する洪水に対して安全な川作りを行っている」ことになります。
一方、中小河川の計画規模は1/10〜1/50年程度とされている例が多いようです。
最近は、この「100年に一度」とか「50年に一度」という定義を決めていく過程に、どれだけの洪水や水害の歴史があったのだろうと思えるようになりました。
1990年代初頭に初めて「100年に一度の洪水」という言葉を知った時は、やや批判的にこの言葉を受け止めていました。
でもそれ以来、台風や水害被害のニュースを見るたびに「これは何年に一度の災害なのだろう」といつも気にしていました。
私自身、水害の被害の記憶がほとんどなかったのですが、2000年代に入るとゲリラ豪雨が多くなり、「こんなことが起こるのか」と水害に対する認識が変わりました。
人類は水との闘いなのだなと考えるようになりました。
そんなわけで、上記の「100年に一度」の行間を読みながら、水のあれこれを考えてみようと思いつきました。
「水のあれこれ」まとめはこちら。