境界線のあれこれ 96 検体を採る

待ちに待ったニュースでしたが、古賀淳也選手のtwitterで「bad news」もありました。

あの南アフリカローランド・スクーマン選手が、ドーピング検査で一年間の資格停止処分を受けていたことです。

 

彼の2月7日付の発表を読むと、やはりサプリメントに混入していた物質が引っかかったようで、彼の場合は「cross contamination」とされて1年間だったようです。

どんなに選手が意図的にとっていないと釈明しても、こうした二次汚染的な混入を立証するのは難しいのに、4年の資格停止だったり2年になったり処分期間の判断もまちまちな印象ですが、その間、その選手はすべての活動を停止させられて釈明に追われることになります。

そしてまるで犯罪を犯したかのように報道されて、社会的な制裁を受けることにもなります。

 

むしろ、一回の陽性がその人の人生を台無しにしても誰も責任を取らない、そんな厳しい正義を求めること自体が尋常ではない世界だと、最近のスポーツのアンチドーピング運動の流れが怖いと感じます。

 

*「検体を採る」といっても*

 

さて、最近送られてきた日本看護協会の会報に、このアンチドーピング機構の活動が紹介されて、その検査員になることの呼びかけをしている記事がありました。

 

確かに、看護職であれば「検体採取」や検査の介助は業務の一つです。

採尿や採血も、日常的に行っています。

 

でも私には、アンチドーピング検査の「検体を採る」と看護の「検体を採る」ことは似て非なることではないかと思えてきました。

 

医療での検体採取は、健康診査でも疾患での検査でも、その対象の健康のために行われます。

健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。(日本WHO協会訳)

 

ところが、アンチドーピング機構の検体採取は、選手を疑い、選手に屈辱的な検査を強制し、そして効果がわかっていない物質が出たり検査を拒否すると犯罪者のように扱うことにつながることです。

 

看護協会は、このドーピング検査の検体採取をどう考えるのでしょうか。

まさか「国際的な団体だから」というだけで信頼しきったりしていませんよね。

医療もパターナリズムからインフォームドコンセントへあるいはパターナリズムからEBM(根拠に基づく医療)へと変化したのに、正当性のないパターナリズムともいえるアンチドーピング運動に加担することになるのではないか。もう少し慎重な方がよいと思うのですが。

 

看護ってなんだろう。

 

 

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