散歩をする  202 東久留米と氷川神社

五日市街道と小金井街道の交差点をそのまままっすぐ北へ進むと、東久留米があります。

生まれてから3~4年ほどを、私はこの地で過ごしました。ですからコカ・コーラの工場見学とか、幼児の頃の記憶はこの地域に関連しています。まあ、人生の最初の頃の記憶というのはどこまでが本当の記憶かは怪しいのですけれどね。

 

*湧水の街だった*

 

いつかはこの場所を散歩しようと数年前からこの地域を地図でながめていたのですが、私の記憶の中の東久留米のイメージとは違うことがありました。

それは2本の川に挟まれた地域だったことです。

私の記憶には川はなくて、乾燥した平坦な土地のイメージでした。半世紀前というのは、「川は汚くて臭いもの」「水辺はゴミや生活排水を処理する施設に近い感覚」だったので、幼い子どもが近づく場所ではなかったのかもしれません。

 

そして、南側にある川は地図の途中から突如として始まっています。

ということはそのあたりに水源があり、谷津のように水が作り出した高低差のある場所の可能性があります。

この目で確認したいと思っているうちに、昨年の夏、「アド街ック天国」でこの落合川と南沢湧水群が放送されました。

 

小学生の頃に引っ越した山間部では、家のすぐ裏にこんこんと湧き出る泉がいくつもあって、それが私と湧水の出会いだったと思っていたのですが、もしかするともっと前からこの地で出会っていたのかもしれません。

 

*南沢湧水群と氷川神社巡り*

 

中央線武蔵小金井駅で降りて、北側へ歩き始めるとすぐに下り坂になります。仙川の上流部で、「人工的に作られた」とあったのでもっと平坦な場所だと想像していました。現在は水の流れていない水路だけがありましたが、さらに五日市街道方面に向かって2段の河岸段丘らしき場所がありましたから、昔は激しく水が流れていたのでしょうか。

 

玉川上水のある交差点のあの古い家と竹やぶを再び見て満足した後、小金井公園脇を小金井街道沿いに歩きました。

30数年前に初めて小金井公園に行ったときには、だだっ広い平坦な公園のイメージだったのですが、こうして歩いて見ると途中から急な下り坂になっています。

公園の北側から石神井川が始まっていますから、南側とは違って起伏の激しい地形が見えました。

武蔵野台地は平地というイメージはまったく異なるものでした。

 

花小金井駅から一旦バスを利用して、前沢十字路で下車しました。ここから住宅街を抜けると、落合川の水源があります。一見、草むらの水たまりのように見える湿地ですが、そこから10m、20mと下流に向けて歩くうちに水の流れができてきて、50mも歩くと小さな川になっていました。

水源の周囲は、谷津の崖ギリギリにまで新しい住宅が立ち並んでいます。

 

300mも歩くと、水流の多い川の様相になり、両岸からところどころ湧水が合流しているようです。

何種類もの鳥や魚がいることが、写真とともに説明されていました。

さらに遊歩道に沿って歩くと、昔の川辺のような場所に出ます。

そこから坂道を登ると氷川神社があり、あちこちから轟々と水音が聞こえてきました。鬱蒼とした水源涵養林があり、そこからまた水が落合川へと流れています。

 

住所を見ると私が幼児の頃に住んでいた場所に近いのですが、あの乾燥した畑が広がっていた記憶とは結びつかないほど、水が多い場所でした。

 

合川が黒目川と合流するあたりでは相当の水量になっていて、さらに両岸は小高くなっています。現在はすき間もなく住宅が立ち並んでいるのですが、おそらく半世紀前はまだ武蔵野の林が広がった渓谷のような風景だったのではないかと想像しました。

 

合流部分から上り坂を歩くと、2つ目の氷川神社があります。

そして今度は黒目川の上流部分に沿って歩くと氷川台という地名があり、また急な上り坂の途中に3つ目の氷川神社があります。

半径数百メートルぐらいの中に3ヶ所も水の神様が祀られているその地形をこの目で確認することも、今回の散歩の目的でした。

 

東久留米は、大正末期に北海道で生まれた父が少年の頃に都内に戻って育った場所でもあります。

神社の前で必ず一礼していたのは、もしかしたらこの地の水の神様に対しての習慣だったのかもしれません。

 

それにしても、子どもの頃の記憶というのはどこからくるのでしょうか。

不思議ですね。

 

 

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