食べるということ 51 無心に食べる

新型コロナウイルス感染症の対応のために、3月に入ってあちこちの動物園や水族館も閉館しています。

月に1回ぐらいは、ちょっと時間があれば30分ぐらいでも上野動物園か葛西水族園に立ち寄っていたので、みんな元気だろうかと、ちょっと寂しい今年の春です。

 

でも、ほんとうにすごい時代になりましたね。「元気ですよ」とさまざまな生物の写真や動画をアップしてくださっているつぶやきのおかげで、閉館中の様子を知ることができます。

 

その中でも、あのパンダの動画に見入ってしまいました。

どしっと座って、バリバリと竹を食べている動画です。

 

「バリバリ」は擬音語ではなく、ほんとうにすごい音が聞こえていました。

上野動物園では厚いガラス越しなので、あの音を聞いたことがありません。

こんな音をさせて食べていたのかと、パンダの生活について知らないことだらけだと思いました。

 

その音を除けば、いつも見ている食べ方と同じです。

 

そうか、パンダには大勢の観客なんて目に入らずに、無心に食べているのですね。

いえ、パンダの気持ちはわからないのですが。

 

どんな状況でも目の前の食べ物に集中して食べる。

案外、ヒトには難しいことかもしれませんね。

私なんて、つい周囲の他人の会話が耳に入ってきてしまい、集中力が途切れるのです。

あるいは「(そんな話は食事の時にしないで)」と、聞き耳を立てているつもりはなくてもつい苛立ってしまったり。

 

そういえば気持ちを集中させている五郎さんのシーンに、時々、他のお客さんの会話が入っているのですが、五郎さんはちらりとそちらを見ても、決して集中力は切らしていないように見えます。

まあ、ドラマなのですけれど。

 

人生、あと何千回の食事をするのかわからないのですが、なにものにも動じず、集中しきって食べることはできるようになるのかな。

なぜヒトは食べるときに、あえて周囲に気を使うような文化ができていったのだろう。

 

ヒト以外の動物にとって食べるというのはどんなことなのだろう。

ほんとうに「無心に食べている」のか、もっと違う世界があるのか。

また小学生のような疑問がふつふつと湧いてきてしまいました。

 

 

「食べるということ」まとめはこちら