世の中にあふれるこうきたかと驚く食べものの種類に、ヒトの食べるものへの探究心はすごいなと、ちょっとめまいに似た感じにたびたび襲われます。
半世紀前の子どもの頃はいまと比べれば素朴だった食事の記憶ですが、それでも、そうとういろいろな国の食事が取り入れられ始めていたのだと思います。
さらに、最近では国や地域の違いというよりも、「我が家流」に工夫した食事がとくにインターネットが広がったことで伝わりやすくなったこともあるのかもしれません。
そんな食べ方をよく思いついたものだと感心することもありますが、私自身は反比例するかのように、食べ方の範囲がせばまってきました。よく言えばシンプルな生活、まあ、保守的、頑なという感じですか。
目の前の食材を見て、どう調理するか。
その過程の複雑さ、巧妙さを考えてみても、ヒトの食事はすごいものだと思いますね。
その点、ヒト以外の生物の食事は単純だと思っていました。
食事とは言わないですか、餌ですかね。
目の間にあるものをただムシャムシャ、バリバリと無心に食べるかのように見えます。
シャンシャンの1011日齢の動画をみていたら、食べることにもちゃんと順番があるらしい場面がありました。
半分に割られた長い竹を手に取ったときに、そのままかじり始めたのではなく、まず節の内側の部分をすべてかじりとってからおもむろに先端を口に持っていき、竹を割いていました。
そして細くした竹を節のあたりで割って短くして、それから食べていました。
まるで竹ひごをつくるかのような、鮮やかな手つきでした。
節の内側をかじり取った場合とかじらずにそのまま竹を割こうとした場合では、まずは内側をかじっておいたほうがやりやすいことを、いつ、どのタイミングで学習したのでしょうか。
親の見よう見まねで覚えたのでしょうか。
それにしても竹や笹で、なんであんなに大きく筋肉の発達した体を維持できるのでしょうか。
パンダの先祖は竹や笹を食べて栄養にしていくことを、どうやって見つけたのでしょうか。
食べるということひとつとっても、わからないことだらけですね。
あ、でもいろいろと工夫しているパンダでも、4月2日の上野動物園の「風ニハマケズ」の動画を見ていると、強風の中で煽られている笹を食べるのは大変そうでした。
「食べるということ」まとめはこちら。