水のあれこれ 130 「水村(みすき)」とか「水寄(みよせ)」

念願の、3つの川が出会い新たな流れになっていく場所に立って眺めていると、天気予報通り雨がポツポツと降りはじめ、ホテルに到着する頃には本降りになりました。

やはり山が近い地域というのは、天気が変わりやすく雨が多いようです。

 

夜はホテルの窓からずっと、雨でけむる街の様子を眺めていました。

しだいに雨がやんで、街灯や家の明かりがはっきりと見えるようになりました。

その明かりの配置を見ていると、昼間に見た川の流れが想像できました。

 

もし、今停電して街が真っ暗になったら、そして大雨になったら。

漆黒の闇の中を三方から水が押し寄せてくる様子を想像するだけで、生きた心地がしなくなりました。

まるであの熊坂が一瞬にして阿鼻叫喚の修羅場になった狩野川台風の記録を思い出しました。

寝ずの番で、日夜防災対策が徹底されている社会になったことのありがたさです。

 

翌朝、まだ暗いうちからいつもの通り窓の外をながめました。

少しずつ山が見え始め、朝もやがあちこちから湧きあがってたなびいていきます。

本当に、美しい朝の風景でした。

 

*三次の由来*

 

本格的に遠出をする場合、時刻表や地図を念入りにみて慎重に準備はするのですが、その分、目的地についての予習までは時間が足りないのがいつものことです。

帰宅して検索していくうちに、「そうか、そういう意味があったのか」「そんな場所もあったのか」と後で知ることの方が多いのですが、今回の三次市についてもそうでした。

 

Wikipedia三次市の「概要」にその地名の由来がありました。

 

広島県内に降る雨の約3分の1が集まっている。 豊かな水に恵まれている。河川の合流により晩秋から早春にかけこの地方では霧が生じやすく、地元では霧の町とよび霧の海にたとえられる。「三次(みよし)」の由来は、古代からの郡名によるものであり、「水(み)」と古い朝鮮語で「村」を意味する「すき」があわさって「水村(みすき)」となり、その後「みよし」に転じたという説が有力とされている。あるいは、河川の集まる地という意味の「水寄(みよせ)」が訛ったとする説や、『和名抄』三次郡の項目に見られる、「上次・播次・下次」の三郷を合わせて「三次」と読んだとする説も考えられ、何れにしても古代より交通の要所であった証跡を伝えている。

 

私の印象としては、「水村」や「水寄」という字がぴったりくる街でした。

それにしても雨が多い地域だったのですね。さらに、豪雪地帯もあるようです。

 

街のそこかしこに落ち着きを感じる街でした。

もう少しこの地域の川や水との歴史を知りたいと思いましたが、今回は残念ですが次の場所へと向かいました。

 

 

 

 

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