散歩をする 209 三次

備後落合駅を出発した芸備線は川と並走しながら、美しい風景が車窓に続きます。

 

次の比婆山駅の周辺には、立派な家々と田畑が広がっていました。

駅舎に、「祝芸備線復活」の横断幕が掲げられていました。

 

その後も、ずっと乗客は3人のままです。

ようやく備後庄原で高校生が二人乗り、この辺りから下校する高校生が駅ごとに増えてきました。

いくつかの川や水路が集まり馬洗川に合流する塩町駅周辺は水田が開け、そして倉敷を思い出させるような街並みがありました。

途中下車してみたくなりましたが、先を急ぎます。

行ってみたかった三次に、もう少しで到着します。

 

*三次*

 

地図でこの馬洗川、西城川、江の川が合流する複雑な水色の場所を見つけたとき、実は「三次」をなんと読むのかさえ知りませんでした。「みつぎ」かなと思ったのですが、「みよし」でした。

 

新しい綺麗な駅舎を出て、あの川が合流する方向を目指しました。

ぐるりと周囲を山に囲まれた場所は、航空写真で想像していた通りでした。街の中を川や水路が流れていて、水の音が聞こえてきます。

途中で、「昭和47年洪水、 2.5メートル」と書かれた洪水標がありました。

昨年、新宮でみた洪水標は私の腰ぐらいでしたが、それでも熊野川の氾濫を想像しただけでも恐怖感を覚えたのですが、「2.5メートル」、どんな状況だったのでしょうか。

 

しばらくすると馬洗川の堤防が見えてきました。堤防にのぼると、北側の山の方から西城川が流れて合流しながら、西側へ流れていく様子が見えました。

馬洗川の橋を渡り、今度はその西城川の堤防を歩いてみました。

このあたりの堤防は、おそらくその昭和47年以降かさ上げされたのだろうと思われるつくりに見えました。

昔の堤防よりも倍ぐらいの高さでしょうか。そしてその日も、あちこちで工事が行われていました。

 

下校途中の小学生が私を追い越して行きました。

西城川の反対側の堤防を歩いている友達と、川を越えて会話をしています。川幅は50mぐらいはありそうな大きな川です。

もしかしたら、橋がなかった時代は、対岸の住民とのコミュニケーションはこの方法だったのかもしれないと妄想しました。

 

西城川を渡ると、今度は江の川との合流部分をめざしました。

江の川の堤防の手前で、地図にはなかったはずの線路があります。ああこれが2018年に廃線になった三江線だとつながりました。もう少し早くこの場所を知っていれば、江の川沿いに走るこの路線から川と鉄道の風景を見ることができたのですけれど。

 

西の方から流れてきた江の川と、西城川と合流した馬洗川が江の川に合流して江津方面へと流れていく、念願の場所に立ちました。

足がすくむような水量が三方から流れ、そして山間のわずかの隙間から一本の川になって流れていく場所でした。

 

 

 

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