水のあれこれ 238 小田川と新本川

少し間が開きましたが、散歩の記録の続きです。

念願の井田跡備中高松城水攻めの跡を歩いて、1日目が終わりました。

 

倉敷で一泊してホテルでニュースを見ていたら、冬の間は通行止めになる蒜山大山(ひるやまだいせんスカイラインが4月中旬からの開通に向けて除雪しているニュースと、津山市ウクライナからの避難民の方たちを30名受け入れる準備をしていることが伝えられていました。

 

翌朝は天気予報通りに雨になっていました。昼頃から本降りということで、途中下車はやめて井原線でそのまま福山市へ向かうことにしました。

と、2日目の散歩の記録をさくさくと書こうとしたら、思わぬことでつまずきました。

 

 

*新本川とは?*

 

1日目に総社駅で桃太郎線から伯備線に乗り換える際、総社駅構内にあった「総社市観光イラストマップ」を写真に撮りました。高松一宮西川用水路をたどると、この総社もまた歩いてみたいと思う街でした。

そのイラストマップを見直すと、高梁川に対して流れ込む河川の名称が「新本川」と書かれています。

 

え?それは小田川ではないのかとMacの地図を見直しましたが、こちらはやはり小田川でした。

あの50年に一度の水害の直後から、ずーっとニュースを追っていましたが、いつも「小田川高梁川に合流する箇所で」という説明が入っていました。

 

あの災害の後に、名称変更があったのでしょうか?

 

 

高梁川と小田川でリンクしたWikipediaの「小田川」は2018年9月18日版でしたが、現在の小田川(高梁川水系)を読み比べても変更されたような記述はなさそうです。

 

もう一度Macの地図を見直すと、小田川の西側に並行するように新本川がありました。

別の川でした。ちなみに「しんぽんがわ」と読むようです。

 

なぜこんな単純なことでつまづいたのだろうと、もう一度総社駅構内の案内図の写真を見直すと、なんとそこには小田川は描かれていなかったのでした。

まあ、観光案内図商工案内図のように、目的地を中心に描かれますからね。

 

*新本川について*

 

岡山県のホームページの「岡山県が実施している河川改修事業」に、「一級河川本川 総合流域防災計画」がありました。

 

事業概要

本川は、総社市新本地内を東に流れ、一級河川高梁川に合流する延長11.9kmの一級河川です。

本河川では、昭和51年9月洪水や昭和60年5月洪水において浸水被害が発生しており、これらの洪水を踏まえ、河川改修を進めています。

現在、上流部の薙田(なぎた)橋付近から小原(おはら)橋付近の区間総社市新本)において、川幅を広げる河道掘削工事を実施しています。

 

2018年に「バックウォーター」を起こしたと報道されていた小田川高梁川の合流地点より上流わずか1.5kmほどのところに、この新本川も合流しているようです。

 

 

*新本とは*

 

高梁川の「本」流に対して新本川かと思ったら、総社市に新本(しんぽん)という場所があるようです。

 

総社市新本の地名の由来/岡山の街角から」に書かれていました。

総社市にある新本(しんぽん)は、荘園の歴史に由来する地名です。

かつて新本周辺は、田上荘と呼ばれる荘園でした。

荘園が二つに分かれた時に、新本川を挟んで南北でそれぞれ本荘と新荘(本庄、新庄)と呼ばれていました。

現在の新本地区は、その南北を一つにした呼び方です。

 

新本義民騒動

かつて新本では岡田藩の厳しい木材の管理の為に生活が苦しくなった為、有志4名が幕府へ申し立てを行った、新本義民騒動が発生しました。

村民たちは自分達が管理していた山林を藩有とした上に、それらの運搬を村民たちに低賃金で行わされていました。

この事に反発した村民たちが対立、江戸にいた藩主に直訴を行いました。

直訴によって生活は改善しました。

しかし直訴を行った4人は打ち首になり、他の関係者も多くが罪に問われました。

この事は当時としては普通のことで、4人は覚悟の上で直訴したのです。

本川の近くには、処刑された4人の勇気を讃える義民碑が設置されています。

 

案内図で川の名を勘違いしたことで、思わぬ寄り道と思いましたが、むしろ川からまたこの地域の歴史を知ることができました。

 

訪ねてみたくなる場所が次々と増えて困りましたね。

 

 

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