散歩をする 223 巨椋池を歩いたつもり

宇治川を見たあとは、いよいよ巨椋池を訪ねました。

 

地図を見ていて干拓地に違いないと閃いて、巨椋池の資料まで揃えたのですが、検索してみたところ2016年のブラタモリ巨椋池についても放送していたようです。ブラタモリは欠かさず観ていたのに、まったく記憶にありません。放送当時はまだ干拓地にも関心もなかったので、知識が身になるのはやはり強い動機が必要なのかもしれませんね。

 

JR宇治駅から奈良線に乗り、その名も「新田」駅で降りたあと、少し離れた近鉄大久保駅から京都方面に向かうと、ちょうど巨椋池の東端に沿って近鉄線が通っているようです。

「新田」のイメージとは違って、新田駅大久保駅があるこのあたりは高台で、かつての巨椋池を見渡せるような場所でした。

 

最初の計画では、向島駅で降りて用水路沿いに排水機場まで歩き、京阪本線石清水八幡宮駅まで歩く予定でした。

地図で見ると、1時間程度で歩けそうな気がしました。

ところが、大久保駅を出て水田地帯に沿って走る車窓から見ただけで、計画を変更することにしました。さすがに干拓地なので広大で、道もまっすぐで周囲は水田地帯しかなさそうです。そして3月初旬なのに初夏並みの日差しだったので、歩くのはやめました。

 

丹波橋駅から京阪本線に乗り換えて、石清水八幡宮駅に向かいました。

 

*淀川背割堤へ*

 

瀬田川に関心が出て、その下流を地図でたどって行くと、瀬田川宇治川になりその宇治川と木津川、そして桂川という3本の大きな川が合流して淀川になる場所に目が行きました。京都を出てしばらくすると、その合流している右岸に東海道新幹線は少しだけ近づいて走っています。

 

あの場所だったとはと、2月下旬に岡山から広島へ向かう途中、見逃さないように車窓から眺めていました。

半月もしないうちに、その対岸を訪ねたのでした。

 

清水駅を降りて木津川を渡ると、さくらであい館という展望台があるようです。そこを目指したのですが、残念ながら新型コロナウイルスのため休館中でした。

木津川と宇治川の間にある堤防では桜が満開で、けっこう訪れる人の姿がありました。

 

これが背割堤で、大正時代の洪水が契機になって造られたようです。

明治時代まで木津川は淀(京都市伏見区)付近で宇治川に合流していた。1800年代後半には明治大洪水をはじめとして、淀川で多数の水害が発生した。そのため、木津川と宇治川の合流部を現在の三川合流部に付け替える淀川改良工事が行われ、1910年に現在の流路となった。更に1971年の大正大洪水の被害を受けて河川改修が行われ、現在の背割堤が建設された。

 

 

*いつか是非、巨椋池を歩こう*

 

「河川改修工事」というと、少し前の私なら「堤防を築く」ぐらいしか想像できませんでした。

この背割に立って淀川になって流れていく水面と、反対側の3本の川が来る方向を眺めていると、十六世紀以降の「川を付け替える」という歴史に圧倒されます。

あの香取海が関東平野になっていった時代が重なりました。

 

今回訪ねる前に購入しておいた、宇治市歴史資料館の「特別展 巨椋池ーそして、干拓は行われたー」という資料を帰宅してから読み直しているのですが、十六世紀からの川の付け替えの歴史だけでも川や土地の変遷があまりに複雑すぎて、1930年代の干拓事業の歴史までまだたどり着けていません。

 

琵琶湖からの唯一の流出河川ということで瀬田川に関心が出て、ちょっと見てみようぐらいで出かけたのですが、川の歴史はあまりにも広くそして深いものでした。

ということで、3月初旬に瀬田川を訪ねた記録は一旦終わりです。

 

いつかこの元巨椋池を歩いてみよう。

やはり冬の方が歩きやすいかもしれませんね。

 

 

 

 

 

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