再び中書島駅から宇治線に乗り、次の目的地の平等院へと向かいました。
途中でまた読めない駅名、黄檗駅がありました。「おうばく」だそうで、黄檗宗大本山があることからきているようです。
山側には茶畑が広がっていて、ああ、宇治茶の産地はこの辺りなのだとつながりました。
反対の車窓に、京都大学防災研究所と書かれた建物が見えました。
1953年(昭和28年)8月1日、京都大学防災研究所宇治川水理実験所として設立。水と土に関する災害の防止・軽減を目的とし設立されたが、1996年に防災研究所が全国共同利用の研究所として位置付けられるのに伴い、本実験所も「水理実験」に限らず多くの分野の施設を擁し、所内外の研究機関、一般企業、学校などに開かれた共同利用施設として位置付けることとなり、2002年に「宇治川オープンラボラトリー」と変更した。
黄檗駅の「駅周辺」に、その施設があるあたりについてこんなことが書かれています。
一方、駅の所在する五箇所地区(駅周辺および西側一体)は低地に位置しておりたびたび水害が発生している。第2室戸台風で広範囲が浸水したほか、近年では1986年と2008年に床下浸水、2012年8月の集中豪雨では当駅と三室戸駅間にある「京滋バイパス」との交差部が浸水したことに伴い同バイパス不通および、当駅と木幡駅の間で交差する弥勒次郎川が宇治川よりの天井川の堤防が決壊し住宅8戸全壊・約500戸浸水、翌2013年にも台風18号による浸水被害が発生している。
京都大学の防災研究所がこの地に造られた8年後に、 第2室戸台風が上陸したようです。
当時の状況はどのようだったのでしょうか。また、地図をみるとその隣に宇治駐屯地もあるようです。
訪ねた日は春うららかな陽気で、川沿いに花が咲いていました。
宇治川の川面が輝いて美しい車窓の風景からは、荒れ狂う水の流れはとても想像できなかったのでした。
*宇治川沿いを歩く*
宇治線の終点宇治駅は、おしゃれで新しい駅舎でした。こんな春の陽気は、人を川辺に誘うのでしょうか。京都市内よりはいくぶん、観光客が多い印象でした。
駅の目の前に宇治川が流れています。
中学の修学旅行の記憶がどこかに残っていないかと探しながら歩いたのですが、どうも平等院以外は記憶になくて、宇治川の記憶も全くありません。
こんなに美しい川だったのかと、川べりを歩きながらまず上流へ向かいました。
宇治神社、そして宇治上神社を訪ね、さらに上流へと歩くと観流橋があります。関西電力宇治発電所からの水が勢いよく宇治川へと合流している上を歩くと、足がすくみそうになりました。
ここは蹴上発電所と同じく、琵琶湖の水を利用した発電所だそうで、大正2年(1913)に運転開始されたことが関西電力のホームページに書かれています。
ここからさらに1kmぐらい上流に天ヶ瀬ダムがありますが、時間がないので今回は断念。
前日から見た琵琶湖や瀬田川の流れが、途中で利用されあるいは制御されながら宇治川になり、下流へと流れていく。
緑深い山あいから宇治川が流れてくる光景を見ることができただけでも、満足しました。
*平等院へ*
宇治川にはたくさんの水鳥がいましたが、水面にとどまることができないのか流されていました。穏やかそうに見えるのですが、流れが速そうです。
せっかくなので平等院を参拝することにして、橋を渡って対岸へと向かいました。
宇治川のすぐそばに建てられていることが、意外に感じました。高台でもなく、ほんとうに川のそばでした。洪水が起きれば浸水しそうな場所です。
検索すると、実際に2012年の近畿豪雨の時に境内をぐるりと土手のように囲む庭園が崩れたりしたようです。
平等院の池は、小さな谷津にできたものだったのではないかと見える地形でした。
中洲のように宇治公園があって、平等院のある左岸側への水の流れを減らしているように見えましたが、晴れた日でも琵琶湖の方から勢いよく宇治川が流れてくるのをみると、なぜこの場所を選んだのか不思議です。
そしてここから1kmほど下流に、1世紀前ほどまで巨椋池が広がっていました。
一面、蓮の花が咲いている風景はこの世とは思えない美しさだったのだろうか、だから選ばれたのだろうか、そんなことを想像しながら平等院を後にしました。
「散歩をする」まとめはこちら。
蓮についてのまとめはこちら。