記録のあれこれ 86 「信州リンゴ また色づくまで〜台風被害農家の決意〜」

長野朝日放送制作の「信州リンゴ また色づくまで〜台風被害農家の決意〜」というドキュメンタリーがありました。

8月下旬に少し色づき始めた林檎が実っている農園を車窓から見ていたので、録画しておきました。

 

昨年10月の千曲川氾濫の様子から始まり、あの2階まで到達する濁流を見て、訪ねようと思っていた矢先の現地の状況に呆然としていたことを思い出しました。

濁流にのまれて収穫できなくなったリンゴを落としていく様子が続いて映り、1年間、この地域に密着して取材されていたこともわかりました。

 

長野市長沼の「アップルライン」は初めて知ったのですが、長沼という地名からあの北陸新幹線の沿線だろうとわかりました。

Wikipedia長沼の説明があります。

千曲川に沿った南北に長い地区である。地区東端に千曲川、北西端に浅川が流れる。地区の北西を北陸新幹線が走り、赤沼地籍に長野新幹線車両基地が置かれている。地区の中央部には国道18号(アップルライン)が南北に走り、その東側に北国街道松代道にあたる長野県道368号村山豊野停車場線が走っている。

 

古くは長沼城の城下町として栄えたが、1688年(元禄元年)に長沼はんが取り潰されてからは、北国街道松代道の宿場町として栄えた。現在でも旧長沼宿のあった県道沿いに集落が形成されている。

 

それ以外の区域はほぼ農地で閉められ、りんごなどの生産地となっている。この地域でのリンゴ栽培は明治末期に始まったと言い、赤沼区公会堂(大字赤沼)には「信州りんご発祥の碑」がある。国道18号アップルライン沿いにはりんご直売所が立ち並ぶほか、ロードサイド店が点在する。

 

川と川の間にある低地であり、石垣や半二階建てといった水害対策を講じた家々が見られる。「長沼」という地名も、千曲川が流れていた跡の沼地形からと伝わる。千曲川はすぐ下流の立ヶ花で急に川幅が狭くなっており(立ヶ花狭窄部)、当地にしばしば水害をもたらす要因となっている。

 

本当に、千曲川から信濃川へと、さまざまな地形を縫って上流から下流まで流れる水を制することは大変です。

 

*千年に一度の想定* 

 

番組では、それまでは養蚕が中心だったこの地域に、より水害に強いりんごに植え替えたのが明治時代だったというナレーションがありました。

 

Wikipediaの長沼の「防災」にこう書かれています。

長野市は、約1,000年に1回の大雨(想定しうる最大規模の降雨)を想定した洪水ハザードマップを作成・公開している。その場合、当地域は概ね全域にわたって10ないし20メートルの高さで浸水すると想定されている。2019年には、令和元年東日本台風(台風19号)の影響で千曲川の堤防が決壊し、町域の広い範囲にわたって浸水した、川から1キロメートル離れたJR長野新幹線車両センターも冠水し、新幹線車両10編成120両が被害を受けている。 

 

当時ニュースで「なぜ10mの浸水予想がある場所に車両基地が造られたか」という疑問が投げかけられていたと記憶していますが、これは「1000年に一度」を想定したものだったのですね。

 

「5mの泥をかぶり続けるとりんごが根腐れしてしまう」そうで、春先までになんとか泥の撤去作業が終わったとのことでした。

広大な面積で、1本1本のりんごの根元を掻いていく様子が映っていました。

そして5月には白い花をつけ、花摘みが行われ、「花摘みができるようになるとは思わなかった。作業を手伝ってくれたボランティアの人たちにもこの白い花を見せたかった」とおっしゃられていました。

6月には青い実がつき始め、8月には早く収穫できる品種が色づき始めました。

私が車窓からみたりんごは、これだったのですね。

 

伐採せざるをえなかった木は、薪としてアウトドア用品のお店で販売されたそうです。

 

なんとも凄まじい水害でしたが、「明治時代に水害に強いりんごに植え替えた」ということを知ったことで、千年に一度レベルの水害を乗り越えた記録なのではないかと思えて来たのでした。

 

 

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