落ち着いた街  9 視覚に飛び込むものが少ない

関西方面に遠出をして印象的だったのが、進行方向に向かって2人がけの座席になっている列車が多かったことです。

関東だとロングシート席か向かい合ったボックス席ですが、そのどちらも、対面する人との視線をはずすのにちょっと疲れます。

関西方面の列車の2人がけの席は、その点、とてもリラックスできました。

 

もう一つ、関西方面の列車はJRもそれ以外の私鉄も概ね、車内広告が少ないことでした。

最近では山手線なども広告がディスプレイ式になったので、以前ほどさまざまな色や文字や写真が目に飛び込んでくることが少なくなってちょっとホッとしています。

それでも、私の身長だとちょうど目の当たりにドアに車窓の風景を遮るようにシール式の広告が貼ってあります。180cmぐらいあればあれをみなくて済んでいるのにと、ちょっとイライラしています。

その点、関西ではそういうストレスが少なく感じました。

 

*文字や絵が少ない風景*

 

ヨーロッパのトラムの映像アイルランドの動画をみてうらやましいと感じるのが、街の中がすっきりとしていることです。

ただし、路面電車の風景では張り巡らされた電線があるので、この辺り景観に対する気持ちというのは好きか嫌いかの問題も大きいものです。

 

ヨーロッパだけでなく、私がのべ3年ほど暮らした東南アジアも、行く前まで写真でイメージしていたごちゃごちゃした街とは全く違って、実際にはすっきりと感じました。

 

何がそう感じさせたのだろうと思う時に、幟や看板がほとんどないことでした。

日本の場合、これでもかというほど他の店よりも目立とうと文字や絵が咲き乱れているので、百花繚乱で目がチカチカしてしまいそうです。

ただし、最近はあちこちを散歩するようになって、特に北陸ではあまりそういう幟や看板を見かけない道が多い印象だったので、「日本の場合」という過度の一般化もしないほうが良さそうですね。

 

*現実と妄想(空想)の世界の境界が曖昧になった*

 

数年前に、想像上の話しと現実が区別がつきにくくなったと、主に漫画やイラストについて書いたことがありました。

 最近では車体一面にイラストが描かれた列車とか、神社が漫画とコラボしていたりとか、イメージの世界と日常の境界線があいまいになっていると感じる風景に遭遇することが増えて、私はとても戸惑うのです。

 

同じ頃から、ポスターや広告などにこうしたキャラクターの絵を使うことについての議論を見る機会が増えて、いつも行き着くところは表現の自由とかフェミニズムミソジニーといったあたりで決裂していくのをみると、なんかそれも違うなあと感じています。

 

私には、この想像上の絵や文字が増えることで、現実の風景がわかりにくくなっていることにどこか苦痛を感じている。

うまく例えられないのですが、妄想の世界がどんどんと進出してきて、宇宙の果てにいってしまうような深淵に立っているような落ち着かなさとでもいうのでしょうか。

そのあたりかもしれないと、ちょっと気持ちを整理しています。

好きか嫌いかの話なので、正しいか間違っているかということでもないのですが、文字や絵が溢れたごちゃごちゃした風景や日常生活はとても疲れるのです。

 

「落ち着いた街」まとめはこちら