水のあれこれ 162 玉川上水と残堀川のマジックのような場所

狭山丘陵の山すそを歩いて満足し、最後の目的地に立ち寄ります。

なんと、ちょうど玉川上水駅行きのバスがありました。30分ほどで玉川上水駅に到着し、そこから西武拝島線に乗り換えて武蔵砂川駅についた時には16時半になっていました。

2月になると日の入りがだいぶ伸びて散歩にはありがたいですが、あと數十分で真っ暗になりますから先を急ぎました。

 

目指すのは、この場所です。

その後1893年明治41年)にかけて玉川上水の下を通って立川市富士見町へ至る工事が施され、上水から切り離された。

 

そして1963年(昭和38年)氾濫対策として、玉川上水を越える形にかえ、1982年(昭和57年)「残堀川流域計画」が策定され、その計画に沿って河川改修工事が施工された。

 

 

地図で見るたびに、どうやって玉川上水と川を交差させているのだろうと気になっていたのですが、最初は玉川上水の下を通し、さらに玉川上水の上に付け替えたという経緯にどんな工事が行われたのか、これはぜひ見てみたいと思いました。

 

川と川が交差している場所にはさまざまな方法がありますが、丸子川と谷沢川が同じように用水路と川の交差場所なので、イメージとして浮かびました。川の上にもう一方の川をコンクリート製の水路で交差させているのだろう、と。

 

 

玉川上水と残堀川の交差部分を歩く*

 

武蔵砂川駅を降りて数分ほど歩くと、残堀川の遊歩道に出ました。

ところどころ水たまりがある程度で、瀬切れがまだあるようです。

 

瀬切れを起こしている方の水路を上にするのと、下にするのでは専門的にはどんなメリットデメリットがあるのかと考えてみたのですがわかるはずもなく、水のない遊歩道をぼーっと歩いていたら、目指す場所が近づいてきました。

 

残堀川のコンクリートの護岸は外見上、何も変わらず続いていますが、玉川上水が交差しているらしい様子が見えています。

玉川上水は、あの人食い川の別称を思い出すような水量が流れていました。

ところがそれだけの水量ですから、残堀川の下を大きなコンクリート製の水路を作って通しているイメージだったのが全く違い、残堀川の護岸のコンクリートからまるで手品のように玉川上水が流れています。

 

どうなっているのかわけがわからず反対側にまわってましたが、そこも残堀川の護岸ギリギリで、ふとどこかへ玉川上水の水が吸い込まれるようになくなり、対岸でまた何事もなかったかのように玉川上水の流れが続いているのです。

 

胴体切断マジックといえば、ちょっとイメージできるでしょうか?

想定外の構造でした。

 

そばにこんな説明がありました。

この河川の下には、下記のように埋蔵物があります。

埋蔵物の種類  川底通過トンネル(外径2956mm)

        送水管 φ2000

埋設位置    これより下流  +8.5m

埋設深さ    左岸側  AP+75.74m

        右岸側  AP+75.82m

埋設幅            2.956m

占有面積               75.9m

 

これを読んでもマジックの仕掛けは想像できず、専門知識の前には手も足も出ません。

なんだか呆然としたまま、帰りのバスに乗ったのでした。

 

現代の玉川上水、興味がつきませんね。

 

 

 

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