水の神様を訪ねる 46 見沼代用水と氷川神社

2018年に利根大堰から取水する見沼代用水と武蔵水路を見にいき、利根川の流れを地図で眺めるようになりました。

当時に比べるとだいぶ利根川の流れを思い浮かべることができるようになりましたが、埼玉から河口までの間だけでも長大で、しかもさまざまな川や大きな水路が入り混じっているのでなかなかその全貌を頭に入れることができていません。

 

実際に歩こうと思っても、用水路に挟まれた広大な水田地帯が多く、公共交通機関が少ないのでかなりの距離を歩き切らなければならなさそうです。しかも天気予報でよく猛暑や雷雨、竜巻で耳にする地域です。

いつかはと思い計画はいくつかあるのですが、まずはまだ一度も全線に乗ったことがない埼玉スタジアム線沿線を歩いてみようと、7月中旬に出かけました。

 

地図を見ると、新井宿駅のあたりでぐいと東へ曲がり、そこから北へ終点の浦和美園駅まで通っています。地下鉄南北線に乗り入れているので、駅名はよく目にしていました。

ちょうど芝川と元荒川に挟まれた地域です。

 

昨年のお正月に関東の氷川神社を書き出していた時に、この新井宿駅の近くにも氷川神社を二つ見つけました。

浦和美園駅の東側になると用水路がまっすぐに描かれていて、「新田」という地名もあり明らかに水田地帯だとわかるのですが、この新井宿のあたりは道が入り組んでいて、高低差を感じる場所です。いつか訪ねてみたいと思っていました。

 

鳩ヶ谷駅から歩く*

 

駅を降りて交差点を渡ると、少し小高い場所に鳩ヶ谷小学校があり、その裏手に最初の目的地である鳩ヶ谷総鎮守氷川神社があります。

上り坂の参道の手前に用水路らしい流れがあり、遊歩道になっていました。

 

鳩ヶ谷総鎮守氷川神社は1393年(応永元年)建立とのことですが、水にまつわることは書かれていませんでした。地域の守り神という感じでしょうか。

 

氷川神社から北の方向へと歩くと、大きな道路に出て、その向こうにまた小高い場所があり法性寺の境内のようです。そのそばに桜町湧水公園があり、その名前に惹かれて訪ねてみました。小さな谷津の窪地のような場所に小さな池があり、公園になっていました。

周囲は住宅に囲まれている中、そこに背の高い草に覆われて湿地が残っていて、静かな場所でした。

 

上ったり下ったりの道が続き、さまざまな時代に建てられた住宅が混在しているように見える地域でしたが、よくよく見るとその道は尾根沿いで、尾根のわずかな平地に家が建っている場所が多い印象でした。「鳩ヶ谷」、地名では一つの谷のようにイメージしたのですが、複雑な凹凸が続いていました。

 

新井宿氷川神社へ*

 

桜町湧水公園からまたぐんと坂道を上り、東へ歩くと大きなY字路に出ました。

「江戸時代の道」という説明があり、左手が日光街道、右手が越谷街道だそうです。

 

その日光街道をまっすぐ歩くと、二つ目の氷川神社がありますが、そこまでも緩やかに上ったり下ったりの道が続き、台地の上のような場所に氷川神社がありました。畑もあちこちに残っています。御由緒はわかりませんでした。

 

東へ戻り新井宿駅につくと、そこに大きな案内図がありました。

最初の氷川神社の参道の手前にあった用水路が、なんと見沼代用水の東縁代用水でした。

以前Wikipediaの説明を読んで見沼代用水が西と東に分岐していることを知ったのですが、どのあたりなのか知らないままでした。

 

そして、この日は少し欲張ってもう一箇所行こうと計画していたのが、その東縁代用水の方だとわかったのでした。

 

*東縁代用水はまた次回へ*

 

浦和駅へと出て、そこから宇都宮線古河行きに乗りました。

東大宮駅と蓮田駅の間に、見沼代用水が通っています。車窓から見沼代用水が見え、水田地帯が広がっているのを確認できました。水路のそばには遊歩道があり、散歩をしている姿も見えました。

そこまで歩こうという計画でしたが、蓮田駅に到着した頃から発達した積乱雲で雲行きが怪しくなりました。

 

これは撤退した方がよさそうです。

せっかくここまで来たのですが、潔く引き返すことにしました。

列車に乗ってしばらくして蓮田駅の方向を振り返ると、黒い雲に覆われていました。

 

蓮田駅の手前を流れているのが、東縁見沼代用水であることを知っただけでも良しとしましょう。

いつか、あの遊歩道を歩こうと思いながら帰宅しました。

 

 

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