水のあれこれ 146 利根川の水源

地図を見るのが好きというわりには、思えば3年前ぐらいまではまだ大きな河川でさえ正確に思い浮かべることができず、利根川も「だいたいあのあたりに流れている」程度でした。

2年前に、見沼代用水と武蔵水路を訪ねたあたりから、少しずつ利根川の全貌が見え始めました。といっても、江戸川の源流が利根川だったことを初めて知ったという、小学校の社会科のやりなおしのレベルですが。

 

今、中流から河口まで、ぼちぼちと歩いています。

だいぶ利根川の流れを思い浮かべられるようになったのですが、埼玉あたりから河口までの間だけでも長大な川です。

そしてそのあたりが江戸時代からの利根川東遷事業によって付け替えられたという歴史は、すごいの一言しかありません。

 

利根川上流*

 

中流域の伊勢崎市あたりから上流域をマップを縮小したり拡大したりして利根川を追っていくと、大きな河川が合流する場所がいくつかあって、ふとどちらが支流なのかわからなくなりそうです。

前橋、渋川、水上と上越線に沿った地域が利根川上流域だとわかって、いつか上越線に乗ってみたいと思っていました。

 

Wikipedeiaの利根川の「地理」では、上流は「水源の大水上山から群馬県伊勢崎市八斗島(やったじま)まで」と書かれています。

湯檜曾(ゆびそ)駅の手前で利根川主流がみなかみ町の山の奥へと別れるようです。その辺りを見ることができたらと今回はいいかなと思いました。

 

ところで、Wikipediaの上流・中流下流の分類のあとに、利根川の水源について書かれた箇所がありました。

利根川の水源は大水上山である、という詳細が明らかとなったのは1954年(昭和29年)に群馬県山岳連盟所属の「奥利根水源調査登山隊」30名が行った、水源までの遡行調査による。水源に関する史料としては室町時代に著された源義経一代記である『義経記』が初出で、同書では現在のみなかみ町藤原付近を水源と記している。大水上山の名称が初出したのは、それより後の1640年代に成立した『正保国絵図』においてである。しかし、利根川の源流については江戸時代後期に入ると天保七年(1835年)に成立した『江戸名所図会』や安政五年(1858年)に成立した『利根川図志』において異説が出されるなど、長らく不明となっていた。明治以降本格的な調査が開始され、1894年(明治27年)と1926年(対象15年/昭和元年)と二度の探検を経て1954年に水源が確定する。さらに1975年(昭和50年)には群馬県による利根川源流域の総合学術調査が実施され、より詳細な実態が解明された。

 

水源を確定するということにも、こんなに長い歴史が必要なのですね。

たしかに、無数の尾根筋からさらに無数の湧水や沢があるのですからね。

 

水害が激減した時代の背景には、こうした水源の確定という地道な作業もあったということでしょうか。

 

 

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