水の神様を訪ねる 68 大間木氷川神社から井沼方公園へ

この「水の神様を訪ねる」というタイトルを思いついたのも地図で氷川神社を探し始めたのがきっかけでしたが、まだまだ訪ねていない氷川神社があります。どんな場所にあるのだろうと地図から地形や歴史を想像し、実際に訪ねて新たに知ることが増えるのも楽しみです。

 

とりわけ見沼代用水によって開墾された見沼たんぼの周辺にはたくさん氷川神社があるのですが、公共交通機関の少ない場所なので歩ききれるような散歩の計画にする必要がありますから、いつ制覇できることでしょうか。

 

今回は、東浦和駅の北側にある大間木氷川神社も訪ねることにしました。

 

附島氷川女体神社を出て、再び通船堀沿いに見沼代用水西縁へと竹藪の中の遊歩道を歩いて戻りました。

「見沼代用水」と小さな石碑があり、水路の西側は台地へと上り坂になっています。

 

しばらく見沼代用水西縁沿いに歩くとJR武蔵野線の線路の下をくぐり、北側へと出ました。

そこには水田が広がっていて、青い稲穂が重くなり始めた風景でした。

かつては海で、江戸時代には大きな溜池の底で、そして江戸時代の干拓後からは水田になった。その水ははるか利根川から引き入れたという水田の歴史を考えているだけで、ふとめまいがしそうです。

 

このあたりで雨がポツポツ降ってきました。

もう少し見沼代用水西縁沿いに水田地帯を眺めたくなったのですが、蒸し暑さのなかの久しぶりの散歩で疲労感もあってまた次回にということにしました。

 

*台地のへりにある大間木氷川神社

 

急な上り坂を歩き台地の上に出ると、北に大間木氷川神社の鎮守の森が見えました。よく見るとその先は下り坂になりまた上り坂になっています。

どうやらかつてはそこに小さな水の流れがあり、台地の上の水辺のそばの少し高台になったところに大間木氷川神社があるように見えます。

 

御由緒に地形について何か書かれているかなと期待しましたが、室町時代あたりに創建されたらしい由来が書かれていました。

 

神社を訪ねると無性にお蕎麦を食べたくなるのはなぜかわからないのですが、目の前にあったお蕎麦屋さんにふらりと入り、ガツンと親子丼とお蕎麦のセットを頼んでしまいました。

美味しい食事に元気が出て、もう少しこの東浦和を歩いてみようと思いまた雨の中歩き始めました。

 

*井沼方公園へ*

 

浦和には遠い親戚がいたらしくて、子どもの頃に訪ねた記憶がうっすらとあります。

その時の印象が広い平地だったのですが、JR武蔵野線に時々乗るようになって驚いたのが南浦和駅東浦和駅のあたりで切り通しが結構ある複雑な地形でした。

その理由の一つが踏切を作らない最新式の路線ということもありますが、浦和のあたりは起伏が結構あることが線路沿いの複雑な道を見ても想像できます。

 

東浦和駅は周囲よりも深い場所に駅構内があって、改札口が地上の高さという造りです。

のぞきこむように線路沿いを西へと緩やかなくだり坂を歩くと200mほどのところに小さな森があります。

少し先は地下を掘ったような場所に線路があったのに、ここでは隣を通っています。

 

線路の反対側から暗渠を通って水が流れてくるのか、突如として水路と池があるようです。どんな場所なのか見てみたいと思っていました。

公園の森の先には少し低い場所に池がありました。さいたま市下水道局管理の池のようで、大雨の時には増水するという注意が書かれていました。

 

ここが井沼方公園で、地図ではその南側150mほどのところに見沼代用水西縁の先の水路の上に別の水路が交差する複雑な場所があります。検索すると井沼方という地名について説明があり、排水路があったようです。

 

大宮台地の端っこのあたりだったのでしょうか。

 

電車であっという間に通過していた場所ですが、この地形を見るとどんな歴史があったのだろうと興味がつきません。

やはりこの辺りの氷川神社を全て歩いてみたいものです。

 

 

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