散歩をする 338 九頭龍通りから宮下通へ

水の神様でもあり虫歯の神様でもある九頭龍神社に隣接した九頭龍公園に、記念碑がありました。

 かつてこの付近一帯は多摩川と大栗川に挟まれた水田で、春は蓮華の花、夏は牛馬の田起こし、秋には黄金に輝く稲穂が道往く人の目を楽しませてくれた。

 昭和三十年代には東京の人口集中化と共にこの駅至近の地は住宅地とし、開発が始まり昭和四十年代には、多摩ニュータウン建設と相まってビルの高層化が進み、都市化著しい様相となった。

 そこで、この地区に土地を所有する者は、昭和五十六年多摩市の「桜ヶ丘駅周辺開発基本計画」発表を期に一致協力した開発を決意し、昭和五十九年九月二十日には東京都知事より「桜ヶ丘駅南第一土地区画整理組合」設立認可を得、以来二年間余事業に邁進し、昭和六十二年三月事業竣功を見た。

 ここに事業完成と当地の繁栄を祈念し、これを建立する。

 昭和六十二年五月吉日

 

京王線の車窓から、線路の北側の多摩川のすぐそばにマンション群が建設されているのが見えましたが、三十数年前の開発計画にはすでにあったのでしょうか。

 

地図では、九頭龍公園の前から小さな水色の線が大栗川に向かって描かれています。

それを目指して歩き始めたら、公園のそばに「清水堀緑地」の表示があり、古茂川雨水排水ポンプ場のそばまできれいな水が流れる水路沿いに遊歩道がありました。

下水道局が管理しているようです。

 

そこから大栗川に向かって少し高くなり、大栗川の堤防に出ると対岸は丘陵地で、その間をゆったり流れています。

そう遠くない昔はここもまた多摩川の氾濫が起こりやすかったのだろうと想像できる場所でしたが、今は護岸されてその堤防は美しく整備されて川のすぐそばを歩けました。

 

大栗川から離れて聖蹟桜ヶ丘駅に戻ると、川崎街道の交差点の角に昔からあったのだろうと思われる八百屋さんがあって、トマトが山盛りに売られていました。

 

信号を待っている間、消防車に誘導されながら救急車が通り過ぎました。

都内では感染者数4000人台が続き重症者の対応で医療が逼迫、救急車の受け入れ不可能な状態がニュースになっていた時期ですから、救急車の音を聞くたびに無事に医療にたどり着けますようにと祈るしかない毎日でした。

 

 

*九頭龍通りから宮下通へ*

 

京王線の高架をすぎたところに商工案内図があり、私が歩こうとしていた道が「九頭龍通り」だということがわかりました。

そこから西へと曲がってすぐに駐輪場がありましたが、よく見ると水路の上を利用しています。

駐輪場の端から開渠になって続いています。コンクリートの水路で、あまり期待しないでのぞき込んでみると、なんと清らかな水が流れています。

 

道なりに水路も少し蛇行しながら流れ、その先に畑があり、そのそばの電柱には「想定浸水深 3.0m」と表示がありました。

その一角に「いきいき市場」と看板があり、地元で栽培した野菜の販売をしていました。

ふらりと立ち寄っただけのつもりでしたが、ナス、谷中生姜、ピーマン、空芯菜そしてふだんは高すぎて手を出さないぶどうまで買っていました。

これからまだ歩く予定ですけれど。

 

ここからは「宮下通」で、西の少し先に鎮守の杜が見えます。

そこまでの水路は石積みで、夜にはその水面を輝かせるような低い位置のおしゃれな街灯がありました。

ハヤでしょうか、たくさん泳いでいます。

小野神社の前あたりに分水路がありました。

 

この辺りから水路は住宅の間に挟まれているので、迂回しながら真明寺まで歩くと、その先に広々とした水田が多摩川の堤防のすぐそばまで広がっているのが見えました。

水路は真明寺の敷地を挟むように流れています。

水田のそばまで行ってみました。8月下旬、まだ青々としていてそれでいて稲穂が重くなっています。

しばらく立ち止まって、稲穂を眺めました。

 

多摩川右岸の水田は健在で、なんと落ち着いた街が残っているのだろうと満ち足りた気持ちで百草園駅まで歩きました。

 

 

 

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