散歩をする 389  飛田給から白糸台まで、押立を回って歩く

3月下旬、夕方に少し時間があったので、いつか歩いてみようと思っていた場所を訪ねることにしました。

 

府中市押立(おしたて)町で、多摩川左岸の中央自動車道の南側、府中市調布市との境目にある場所です。

そこから東は調布市飛田給調布市上石原で、ちょうど1年前に布田崖線沿いの川のそばをフローラルガーデンまで歩きました。

 

多摩川右岸側には同じく「押立」という地名があります。

ちょうど大丸用水の流れている地域の多摩川の堤防沿いの地域です。

 

洪水によって袂を分かつ地域だとだいぶ前から歩く計画はあったのですが、地図には水路が描かれていないのでなんとなく先延ばしになっていました。

 

桜も咲いて、おそらく堤防沿いを歩くだけでも美しいだろう、そしてちょうど中央自動車道が交差するあたりに多摩川に流れ込む水色の線があるので、その辺りも見てみようと出かけてみました。

 

 

飛田給から押立神社へ*

 

16時16分に飛田給駅に到着しました。

ホームの南側には目の前に畑が広がっていて、ブロッコリーの栽培がおわった時期のようです。飛田給駅は大きな駅で、この反対側は東京スタジアムがあります。

その日も北側へと人の流れがある中で一人、畑側へと出ました。

畑には「旧品川道(いかだ道)」と棒状の標識が立っていて、そこから蛇行した道を歩くと交差点があり、鹿嶋技術研究所のそばに美しい桜並木がありました。

 

その交差点から少し先が、下り坂になっていきます。

この辺りも布田崖線だと思うのですが、なぜこの下の地域には水色の線が描かれていないのだろう、水を得られなかった地域だろうかと思いながら歩きました。

坂が終わるあたりにその名も「ハウス坂の下」があり、その近くに短いのですが暗渠を緑道にした場所がありました。

周囲は1970年代ごろからの住宅地と畑のような印象です。

 

そのまま道なりに歩くと中央自動車道が防水堤のようにあり、下をくぐる歩道はあの三島の新幹線高架橋を貫く用水路と似ていました。

中央自動車道をくぐると多摩川の河岸の地域に出て、水田があちこちに残り、水路もありました。

 

押立神社バス停前を川の方へ曲がると、鎮守の森が見えます。

押立神社(旧称 手津久里稲荷)

 慶長年間に、山城国稲荷大神(現在の京都府伏見稲荷大社)の分霊を鎮祭したのが創建。

 御祭神、稲倉魂命(うかのみたまのみこと)は稲霊で、我々の生命の源である食物を司る神、農業の守護神、商売繁盛の神として信仰されています。

 当初は、現在の多摩川の辺に鎮座していたが、正保年間の大洪水のため現在の社地に遷座したという。

 万葉の昔から「てつくりの里」と詠われた土地柄ゆえに、手津久里(てつくり)稲荷と称し、村民あげて尊崇し、殊に府中領初代代官高林弥一郎が社殿を改築するに至ったと伝える。

 明治十四年に押立神社と改称し、翌十五年には氏子らによって社殿を造営し大いに旧館を改め、有栖川宮一品幟仁(いっぽんたかひと)親王、特に「押立神社」の四字を御染筆額面として下賜せられた。

 祭事は、二月に初子祭、九月に例大祭を執り行う。

 

稲の神様が、洪水で遷座された。

正保年間の大洪水、どんな洪水だったのでしょう。

 

多摩川堤防まで100mほどの場所ですが、畑と水路が残り、堤防沿いには比較的最近建てられただろうと思われる住宅が並んでいました。

 

*堤防から府中崖線へ*

 

堤防の上に出ると、緑の河川敷に桜が白く霞んで続く美しい多摩川の風景で、対岸が川崎の押立です。

 

地図場所で見つけた水色の場所があり、大きな水門がありました。

近づくと東京都下水道局が管理している「水再生センター排水樋門」で、排水口の付近にたくさんの鴨が泳いでいました。

 

その水路の上を通る稲城大橋の先に、水再生センターがありました。堤防にはベンチがあり、多摩川を眺めることができます。そのセンターの横に運動場や公園があり、遊歩道になった暗渠をたどると遊歩道案内図がありました。

地図には水色の線は無くなってしまったけれど、暗渠が遊歩道として歩けるようになっているようです。

その目の前が府中市水・防災センターで、「想定浸水深3.3m」とありました。

 

ふたたび、防水堤のような中央自動車道をくぐり、地図で見つけておいた押立西公園の遊歩道を歩きました。先ほどの案内図で「押立遊歩道」だとわかりました。

マンションや住宅が並ぶ場所を北西に200mほど歩くと、現役の水田が残っていました。

その向かいの府中市立第六中学校の前には暗渠と、やはり水田が残っています。

 

*常久の渡し*

 

その先がぐいと上り坂になり、府中崖線のようです。

中学校のすぐそばに、「渡し道」の石碑がありました。

常久渡しは対岸の向常久への渡しです。砂利運搬のトロッコが敷設されたからトロッコ道の名もあります。

 

検索すると、「渡し碑コレクション」というサイトに説明がありました。

昔は多摩川を挟んで両側に"常久”の地名があったらしいが、現在は町名としては残っていない。

洪水によって袂を分かった地名にも、すでに無くなってしまったものがあるようです。

 

水田をはさんで、西武多摩川線が通っています。

その踏切は、ちょうど一年ほど前に武蔵野台駅から府中崖線沿いに歩いた時に渡り、馬を湧水で洗う神社を訪ねたのでした。

 

今回はここから府中崖線の上り坂を白糸台駅へ歩き、1時間40ほどの散歩が終わりました。

 

地図では水路がなさそうと先送りにしていた場所でしたが、さまざまな歴史がつながり合って充実した散歩になりました。

ほんと、つまらない場所なんてないですね。

 

 

 

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