散歩をする 337 百草園から高幡不動の水田を見に

7月下旬に境川沿いに都県境を行ったり来たりしたあと、次の散歩の記録は8月下旬です。

さすがに都内の感染者数が4000~5000人台が続いていたことと、私の休みの日は雨が多かったこともあり、必要最小限の買い物ぐらいで出かけない日々が3週間ほどありました。

 

8月下旬になりまだ5000人台でしたが、そろそろ散歩を再開しようと思いました。

6月に田植えが終わってから、あっという間にもうじき稲刈りの季節になってしまいます。

どこかの水田を見たい。

 

数年前に京王百草園の梅を見に行ったことがあります。

百草園駅の前からすぐに百草園に向かって見上げるような高い場所になるのですが、その手前に小さな水田があったことを思い出しました。

まだあるだろうかと、訪ねてみたくなりました。

 

京王線明大前駅から八王子行きに乗り、懐かしいつつじヶ丘駅西調布駅、そして武蔵野台駅から瀧神社のあたりの風景です。

久しぶりの多摩川は、夏草に覆われ、青々と水が流れていました。

 

百草園駅の手前から南西の方向を見ていたら、稲穂が輝く小さな水田がありました。

 

落川と用水路*

 

今回はその水田とは反対の北口に出てみました。

地図では駅から少し離れたところに用水路のような水色の線が描かれていて、北西の公園の前を通っています。

そこを目指しました。

 

駅にほど近いところに小さな水路がありました。

街の中なのでコンクリートだろうと思っていたのですが、石積みの水路で、しかもまっすぐではなくあえて少し蛇行させているような予想をはるかに超えた水路でした。

きれいな水が流れています。

 

これはすばらしい散歩になりそうと、水路沿いに歩きました。

ここもまたあの清流の街です。

水路は新しい住宅の前を流れ、家へは渡し板がつけられています。うらやましいですね。こんな水路が家の前にある生活は。

 

石積みの水路が続き、道なりに歩くと上落川公園がありました。

落川公園

落川とは、浅川の流れから多摩川に合流することから、この名がつけられたという。

落川は元名主朝倉家の祖河内在重が、この地で耕作を拓いて村の礎を固めたところから河内とも呼ばれた。

その後、天正十八年(一五九〇年)秀吉の制札には、「武蔵国多西群内おち川之村」とある。ここは落川の上に位置する。

 

数世紀も前から、この辺りに水田が広がっていたようです。

一本の水路に導かれて、こうした歴史を知ることができました。

 

 

ここから北へと100mほど、少し広くなった水路が続き、やはり家の前に渡し板がありました。交差点で暗渠になりましたが、マンホールの下から轟々と流れる音が響いていました。

 

落川通りから程久保川へ*

 

キウィの果樹園の間を抜けて落川通りへと出ると、そこにまた水路が続いています。大人の背丈ほどある数珠が茂っていました。

途中、程久保川を渡ると、上流の方向に高幡不動の近くの山肌に住宅がぎっしりと建っている風景が見えました。

程久保川を越え、落川通り沿いに住宅街が続いています。

家の雰囲気から1980年代あたりからの住宅地でしょうか。

 

落川通りを小さな水路が横切るように流れている場所をすぎたところから、左右に水田が広がり始めました。

200mほど先の浅川の堤防の近くまで稲穂が輝いているのは、幻想的でした。

 

ここから高幡不動駅へ向けて西へと歩き始めると、おそらくここ10年ぐらいでできた新しい住宅街にも水路が残っています。

ちょっと期待して歩いてみると、また水田が広がり、その向こうに多摩モノレールが通っているのが見えました。

 

石積みの水路から、良い散歩になりそうという予感が当たりました。

東京の田んぼも健在でした。

そして落ち着いた街がありました。

 

 

ただ、数千歩ほどでしたが久しぶりの散歩だったので脚がガクガクし、これはまたしっかり散歩に行かなければと思いました。

 

 

 

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