根川貝殻橋を渡り立川段丘へと坂道を上ると、多摩川より一段高い場所に住宅街や畑が広がって国立市に入ります。
その少し先に府中用水の始まりがあリます。根川が合流した水色の線が、そのまま東へ細い水路となり、中央自動車道のすぐそばの谷保堰で分水されて多摩川左岸を潤していきます。
2018年ごろに矢川緑地から谷保のあたりの湧水と水路を歩き、田畑が残る美しい風景に圧倒されたのですが、残念ながらこの散歩の記録を書いていませんでした。手帳で確認すると2018年5月で、田植え後の稲穂が美しい季節でした。
この時に府中用水を知ったのですが、まだ当時は今ほど歩けずすぐ疲れていましたから、取水口までは無理と断念したのでした。
多摩川の崖のような場所を歩くと、じきに大きな木のそばに祠があり、そして府中用水取水口の案内図がありました。
府中用水 取水口
府中用水は、多摩川の水を青柳南で取り入れ、谷保南部を通り、府中まで導く農業用水路です。江戸時代には、府中宿のうち本町、番場宿、新宿と、是政村、上谷保村、青柳村の合計七ヵ村が管理していたため、「七ヶ村組合用水」と呼んでいました。
いつ、どのように造られたかについては、明らかではありませんが、一説には、江戸時代(一六五二年頃)に羽村の玉川兄弟が、青柳から府中までの上水路を計画し、途中まで掘り進んだところ土地の高低差が激しく断念、後の人がその跡を利用したと伝えられています。
また一説には、昔の多摩川の河床を用水路として利用したとも伝えられています。
この下が用水の取水口です。毎年、田植えの前に水を取り入れ、田を潤し、秋の収穫前に水を止める光景が、風物詩となっています。
この案内板のすぐ下に向かってコンクリートの水路があり、その脇を降りれるようになっています。最初、この水路が取水口かと思ったのですが、「緑川排水樋管」とあり雨水用の排水路でした。
その西側に先ほどの根川が合流した流れがあり、「府中用水土地改良区」のポンプ場がありました。
ここから段丘の上へと水を上げているようです。
*府中用水の水路沿いを歩く*
50mほどの暗渠ののち、多摩川左岸の崖の上に水路が始まりました。
府中用水のそばは「武蔵野の路 是政・昭島コース」という散歩コースが整備されているのですが、玉川上水よりもさらに深く掘った水路が樹木に囲まれていて、気配はあっても見えません。
季節によっては人喰い川の様相になり、そのためにそばを歩けないようになっているのかもしれません。
「菱丑と蛇籠」という説明がありました。
昔から多摩川はしばしば洪水を起こしていました。そのため様々な堤防や護岸が築かれました。
昔の代表的な護岸は菱丑と蛇籠があります。
菱丑は「ウシ」とも言われ、強く堅固な護岸の意味で、松林を斜めに組んだものです。蛇籠やたけや鉄で組まれた籠に石をつめたもので、河原にひきつめました。そしてさあらに強固にするため、菱丑と蛇籠を組み合わせ、土のうを置いて川の決壊を防いでいたところもありました。
竜王の用水路と信玄堤を思い出しました。
左手には広い畑と、比較的新しい住宅地が広がっています。
青柳稲荷神社があり、立ち寄ってみました。
青柳稲荷神社
青柳と石田は、明治二十二年の谷保村との合村までは、それぞれ村として独立していました。現在は「大字(おおあざ)」としてその地名を残しています。
青柳は、その昔、今日の府中市本宿の多摩川南岸の青柳島にありました。寛文十一(一六七一)年多摩川の大洪水により青柳島は流失、現在地に移住し、青柳村を開拓しました。
石田も青柳と同じくして、今日の日野市石田から移住したものです。
青柳稲荷神社は、青柳、石田の鎮守であり、一間半×二間の覆屋(おおいや)で、二月初午、九月大祭等の例祭が行われています。
「青柳島が流失」、ここにも多摩川の激しい水の歴史が書かれていました。洪水によって袂を分つというほどの水害は、生活を立て直すまでにどれくらいかかっていたのでしょう。
*谷保堰へ*
青柳稲荷のあたりから下り坂になり、しばらく府中用水とははなれるのですが、途中、何本も小さな水路が府中用水のほうへと流れていました。崖線からの湧水でしょうか。
そのうちに、都市河川のような浅い流れが見えました。
道を間違えたのかと思いましたが、これが府中用水で、その先に真ん中にコンクリートの壁がある場所が見えました。
このあたりには水田があります。
「府中用水 谷保堰(やぼぜき)」と標識がありました。
府中用水は、多摩川の水を青柳下で取り入れ、谷保南部から府中、是政まで導く現役の農業用水です。江戸時代初期に古多摩川の流路を利用して開削されたと思われます。
この谷保堰は、府中の田んぼに向かう本流と、谷保の田んぼに向かう支流に分ける分岐点となっています。用水の配分は米の生産に関わる一大事で、関係農民の間で水の配分をめぐって、しばしば水争いが起きたと伝えられています。
この谷保堰の支流沿いに、2018年に歩いた場所があります。息を呑むような美しい水田があり、武蔵野台地のハケの上と下の生活の違いを知った頃でした。
「用水の配分は米の生産に関わる一大事」
一見、水が豊富な多摩川のハケ下でしたが、こういう用水が張り巡らされ、分水されて水田が維持されていたようです。
「米のあれこれ」まとめはこちら。